白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ421

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十四日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

お薬買ってきたの?午後はゆっくり寝てたみたいだけど。

 

買ってきた。このところテレビと新聞とネットとであらかじめ見ていても気象予報は外れることが多いだろ。それで朝から空の様子見てたんだけど昼食後の三時間ほどは晴れそうな雲行きだったからその間に近くのスーパーで二箱買ってきた。とりあえず鼻水は止まってくれてるみたいで息はできてるよ。

 

なんて商品?

 

サトウ製薬「ストナリニ」ってやつ。喘息の基礎疾患を持ってる場合は口呼吸だけになっちゃうと危険なんで始めに鼻水鼻詰まりを解消して鼻から息をする気道を確保するのに手頃なんだよ。年に二、三度くらいだけど長引きそうなときは買っとく。

 

でも商品名って出していいの?

 

根拠のない悪口じゃないから全然へっちゃらだね。逆に下手に悪口書くと訴えられたりする。

 

ふ~ん。でも裁判ってそういうものなの?

 

そういうものだね。

 

他に飼い主の体質に合ういいお薬はないの?

 

アスゲン製薬「アスゲン鼻炎錠S」ってのがある。どちらかって言うとアスゲンのほうが合うんだけど近くのドラッグストアに置いてないから「ストナリニ」で代用してる感じかな。

 

似てても違いはあるんだ。

 

そうだね。「ストナリニ」の主成分はダツラエキス。「アスゲン鼻炎錠S」の主成分はベラドンナ総アルカロイド。どちらも基本的にはさほど違わない。というより大変似てる。けど亡くなった婆さんの場合「アスゲン」が合ってたんだ。その息子だから遺伝的なものがあるのかも知れないな。

 

タマがもし鼻風邪になったらどうするの?

 

動物の病気ってのは人間用の薬物の量を調整すれば間に合う場合と人間用の薬じゃいけない場合と両方あるからその都度かかりつけの動物病院で診てもらうのが一番いい。

 

雪が降ったらどうするの?

 

うちは初代のタマの時から自転車にキャリーケース載っけるから傘さして歩いて行けばいいさ。けどいつも車でやって来る飼い主さんとかは大変かも知れないね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウェンディ・アイゼンバーグ。ジャズのようでもありフォークのようでもありポスト・ロックにもポスト・パンクにも聴こえる。地平線のようでもあり水平線のようでもある。いろんな挑戦が垣間見える。


Blog21・プルースト的ベケット的

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

「分裂症患者は、生者《あるいは》死者であるのであって、同時に両者であるのではない。むしろ、かれは、両者の間の距離の一方の端において、それぞれ両者のうちのいずれかであり、かれはこの距離を滑りながら一方の端から他方の端へと飛び移るのである。かれはこどもあるいは両親であるのであって、同時に両者であるのではない。むしろ、かれは、分解不可能なる一体空間の中にある棒のように、他方の端において一方であり、一方の端において他方なのである。ベケットが行っている離接の意味は、こうしたものである。かれは、自分の作中人物たちやこれらの人物に到来する諸事件をこのような離接の働きの中に登記している。すなわち、そこでは、《一切は分割されるが、しかし自己自身の中においてなのである》。離接が包含的になると同時に、距離でさえも肯定的なものとなる。ヘーゲル学派の最後の哲学者がするように、あたかも、分裂症患者が、<種々の矛盾を同一化する漠然たる綜合>を用いて<離接の働き>の代りとしていたかのように考えるのは、上にのべたような思考の秩序を全く誤解することであろう。分裂症患者は、離接的綜合を矛盾の綜合に代えるのではない。そうではなくて、離接的綜合の排他択一的制限的使用をその肯定的使用に代えるのである。かれは、種々の矛盾を奥深く掘りさげることを通じてこれらを一体化させ、離接の働きを消滅させるのではない。それどころか逆に、かれは、不可分の距離をたえず飛び移りながら、離接の働きを肯定するのだ。かれは単純に<男女両性>であるのでもなければ、男性と女性との間に存在するのでもなく、また<男女交錯>でもない。そうではなくて、<男女横断>なのである。かれは<生死横断>であり<親子横断>である。かれは、二つの対立項を同一項に一体化させるのではない。そうではなくて、かれは、異なるものとしての対立両項を相互に関係づけるものとして、この両項の間の距離を肯定する。かれは矛盾に対して心を閉じるのではなくて、逆に心を開くのだ」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.98」河出書房新社 一九八六年)

 

「生者《あるいは》死者」とはどういうことか?

 

仮に<健常者>を「生者」というとすれば<分裂者>は「死者」と言いうる。とはいえ実際に死んでいるわけでは決してなく「生きつつあり死につつある」という理解が必要だろう。続いて書かれているように分裂症者は常に「分解不可能なる一体空間の中にある棒のように、他方の端において一方であり、一方の端において他方なのである」ということになる。

 

また追記として。日本の司法は実のところまだまだ理解不十分に思える。

 

プルースト読解で長々と取り上げたようにアルベルチーヌは「単純に<男女両性>であるのでもなければ、男性と女性との間に存在するのでもなく、また<男女交錯>でもない。そうではなくて、<男女横断>なのである」。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1015

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「violvoic」

猫お気に入りの金属加工音のコンスタントな繰り返しから始まる。次第にゴロゴロ音とグルルル音が前景化し安心してきたのかぬいぐるみで遊び始める。4:56付近から一転して静寂の演出。猫はさしたる変化を示さずぬいぐるみを投げてやれば一生懸命遊ぶし飼い主がパソコン操作に戻ると次はいつ遊んでもらえるのかなという表情で床に横になりお腹を見せてみたり飼い主の椅子の真下に潜り込んでおとなしく座っていたり。静寂のなかに深みのあるエコー音の響きがあるのだがそれには感心がないように見える。8:55付近から再び猫のゴロゴロ音に近い音が出てくるが9:43からより本格的なゴロゴロ音とドロドロした水辺に近い音響に変わる。ドアは猫を部屋に閉じ込めてしまわないようにいつも少しだけ開けているが猫はそこからすたすた出ていき和室へ行動範囲を広げて何か待っているように見える。ぬいぐるみを投げてやるとよろこんで走って追いかける。何度か繰り返した後で適当に横になって休憩を取る。なんとも慣れた様子。もう一度「violvoic」を聴かせると和室の暗がりから出てきてパソコン机の上へ飛び乗り遊んでほしいとアピールする。