白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ417

2024年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月二十日(金)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

こらこらタマさん、ギターのヘッド噛んじゃダメだよ。

 

飼い主がピックで遊んでるからタマもと思って。

 

遊んでるわけじゃないよ。忘れないうちにエクササイズしてたんだ。あんまり間を空けすぎるとせっかく考えた指運がこんがらがっちゃうからね。それはそうとこれ見てごらん。こんなとこに猫の歯型が付いてる。そんなに強く噛んだ?

 

覚えてない。

 

ん~、ただ単に噛み付いただけじゃなくがりがりやったな。歯型が波打って線が付いてるじゃないか。

 

飼い主ばかり遊んでちゃタマつまんないや。

 

だから遊びじゃないって。でもタマの歯型が付いたおかげで世界広しといえどもこのギターは一台だけってことはわかるかもね。けどピックはタマがあんまり反応しなかったセルロイド製だよ。

 

セルロイド覚えてる。転がした時の音が凡庸なんで今ひとつ乗れないんだよね。

 

そりゃ猫のおもちゃとして製造されてるわけじゃないから。って凡庸なんて言葉いつ覚えたんだ?

 

そんなのいつでもいいじゃん。タマはセルロイドよりウルテム素材っていうのが楽しい。

 

それが実はね、ブログでウルテム素材のピックのこと書いたらさ、ネットの「あなたにおすすめの商品」てところにウルテム素材のピックがどっさり紹介されてるんだ。しかもどれもこれもメーカー違いさ。

 

メーカーが違っちゃいけないの?

 

あのね、物価高でしょ今。ピック一枚でも気を遣うんだ、こういうのは。まとめ買いして合わなかったら目もあてられない。

 

「あなたにおすすめ」ってタマにおすすめってことなんじゃないのかな。

 

そうも言える。でもここんとこ見てごらん。前に新聞広告の件でカルティエのこと書いたらさ、カルティエの時計が紹介されてるんだけどね。

 

ほんとだ。

 

飼い主が好きなカルティエの時計は丸いタイプじゃなくて長方形のタイプなんだ。それにベルトは金属じゃなくて紺色か茶色の革バンドが昔から好みでね、メーカーもカルティエじゃなくてシチズン。体格が小柄なんでメンズじゃなくてレディース。

 

コンピュータって案外まだまだ馬鹿なんだね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウェンディ・アイゼンバーグ。ジャズのようでもありフォークのようでもありポスト・ロックにもポスト・パンクにも聴こえる。地平線のようでもあり水平線のようでもある。いろんな挑戦が垣間見える。


Blog21・「パパ、ママ、ボク」、ずれを帯びて描かれたオイディプス三角形の狂気

2024年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

クミコとその兄との近親相姦の匂いを指摘されたことのある「ねじまき鳥クロニクル」。それが良いとか悪いとかは差し当たり別問題として。三宅香帆はひとまずまとめる。

 

「逃げていいのだと言われる僕は、『今度はどこにも逃げないよ』と言う。これはむしろ彼の『逃げた』行為がクミコを今ここに追いやっていることを逆説的に指している。結局、作品終盤クミコは家族の悪を生産するため、兄という悪の根源を、自らバットを振るって殺害する。そして罪を引き受けたクミコが帰って来るのを、僕は待つ」(三宅香帆「夫婦はどこへ?(4)」『群像・1・P.417』講談社 二〇二五年)

 

「僕」とは誰か。日本の「オトコ」とは大抵そういうものだと「ねじまき鳥クロニクル」発表以前、少なくとも大学キャンパスではもっぱら指摘されていた。特に大学院を目指すか実際に大学院在籍中で研究者志望の女子学生らから。

 

「たとえば『ねじまき鳥クロニクル』においてはクミコに兄を殺害させ、手を汚させたことについて、性的搾取の構図を見出すことは容易である。だが私はクミコの選択については『そりゃ自分の家族の問題を夫に処理させられないよな』という感想を素直に抱いてしまうのだ」(三宅香帆「夫婦はどこへ?(4)」『群像・1・P.419』講談社 二〇二五年)

 

三宅香帆が「素直に抱いてしまう」感想。「そりゃ自分の家族の問題を夫に処理させられないよな」。そういう感想を女性の側が自明のものとして「素直に抱いてしまう」瞬間を、実は今なお日本の「オトコども」はいつも話をふらふらさせながら虎視眈々と待っている。それはなぜかという疑問。今に至るまで研究者を目指す女性たちの頭にこびりついて消えていない。

 

クミコとその兄との間に近親相姦の匂いが漂うという指摘をもう一度取り上げてみれば、というか、発表当初からそれはごく一般的な大学生の間でもあった。一九八〇年代半ばすでにどこにでもいそうな高校生レベルでも安部公房作品を取り上げる女子生徒らが増殖加速していた時代である。そんななかでなぜ彼女らは村上春樹作品をほとんどスルーしたのか。また同時に当時の大学キャンパスにはなし崩し的に堕胎を迫られて困り果てた女子学生が何人もいた。

 

どのように読まれていたか。一例を上げてみる。「僕」は暴力的なパパの息子である。同時にクミコの妻である。しかしクミコは暴力的なパパと近親相姦で繋がっている。クミコとパパとは血の繋がりがある。ところが「僕」とクミコとの間の繋がりはただ単なる夫婦でしかなく血の繋がりとはほど遠い。「僕」がこっそりとではあれ常々思っていることを言おうか。クミコがパパの暴力性に耐えきれなくなってパパを自分の手で処分してくれないかなってこと。そう思っていたら実際に殺してくれた。感激したよ「僕」。暴力的で鬱陶しくて決して勝てないパパは金輪際いなくなった。おかげで「僕」はこれからクミコをどうにでもできる「オトコ」さ。「パパ」だけが持っていた暴力も今や「僕」のものなのさ。だけどクミコはとても優しい。自分ちのことは自分で片付けるって「ママ」のやることまでやってくれるんだから、おそらくこれからもね。へっへっへ、、、。

 

村上春樹という作家個人に対して批判したいわけでは決してないのだ。そういうことではなくもっとリアルな日常生活を送るなかで、村上春樹作品が日本の出版業界に巨万の富をもたらしていたその同じ時期に、まだまだ語彙力や表現力がおぼつかない高校生はたまらなくもどかしがり、批判的に書く力を身に付けつつあった大学院生レベルになると村上春樹作品ではまるでなく漫画家の大島弓子や作家の橋本治、ビートルズではなくストーンズのファンを公言する女性が大量に出てきた。

 

ネットの普及でどんな批評もあり得る世界になりつつある昨今だが、批評する側があまりに「素直」に自分の周囲だけで妥当しそうな環境をあてはめるのではなく、まるで妥当しそうにない全然異なる環境が今なおごそごそ生き生きと生き残っていきつつあるという事情にも配慮してほしいと思ったりするのである。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1011

2024年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「nineFly」

オウテカにしては大人しめの曲。ゲリラ部隊が一部ずつ移動していく小賢しい足音のような音がちょろちょろ出てくる。だがいつものゴロゴロ音は健在。このゴロゴロ音だが不規則的であまりに人為的過ぎずそれがかえって猫には負担にならないように見える。またさほど頻繁ではないが途中で挟まれる昭和の下町の町工場を通りかかる際に耳にしたような板金加工の音がこれまた何とも言えずやる気があるのかないのかわからない不規則かつ非-機械的に打ち込まれていて飼い主としては懐かしい限りなのだけれども飼い猫まで横になってお腹を見せてくつろいでいる。気分的にも違うのだろうかと思い7:19分付近で試しにお気に入りのぬいぐるみを投げてやると楽しそうに走って追いかけていく。この手の曲としてはテンポは遅い、ということが逆に心地よく響くこともあるというのはどうしてか。人間、特に日本人が聴くと盆踊りの時の炭坑節に大変似ていることがわかるとおもう。またジャズやブルースのフィールドで言えばWALTER BISHOP JR「ALONE TOGETHER」、SONNY CRISS「ANGEL EYES」などを想起しないわけにはいかない。