二〇二四年十二月六日(金)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主さあ、今日は月に一度の文芸誌の発売日で朝からそわそわしてなかった?
かも知れないなあ。文芸誌の場合は朝刊の新聞広告に指定席ってのがあっていわゆる四大誌とも揃って載るはずなんだけど見当たらなかったから。発売日は首都圏限定で守られることはあるけど地方は遅れる場合が時々ある。でも買い物ついでにスーパーに入ってる書店を覗いてみたら置いてあった。
四大誌なのにどうしていつもひとつだけなの?不公平だと思います。
お前さんね、どこでそんな言葉を、って言うか、言葉だけ覚えてくるんだ。ほんとうはね、そりゃ四個ともほしいの。でもお金ないからひとつに絞って購読してるのさ。で地方の書店ってのは相変わらず貧しくなる限りで定期購読してる人は多分予約して受け取ってるんだよね。直接配送してもらうとか。でも飼い主は書店の棚を一巡して見ておきたいっていう目的が子供時代からの楽しみでもある。だから買い物と一緒に見に行くわけ。それがこの夏くらいからかなあ、とうとう飼い主が買ってる文芸誌しか置かなくなった。それも一冊だけぽつん。そのぶんハウツー本とかコンサルタント指南書とか、がばがば増えてさ。元ネタはほとんど同じだってのに買う人が多いみたいだ。
元ネタってあるの?
一九八〇年代半ばのことさ。古今東西の古典からこれって人物とかその言葉から何でもありって感じでパッチワークして書籍にする作業が常態化してきた。基本はそれで今も特に変わってない。で時事ネタに合わせて切り貼り作業のパターンをささっと変えるだけ。ネットの普及がそれに輪をかけた。切り貼り作業の簡略化ってこともあるけど問題はもっと深刻だね。ネット見てると人間が生き残っていくためにはさもそれのみが有効であり、それのみが「勝ち組」として勝利するための神聖不可侵なバイブルって感じなんだ。ところがバイブルにしちゃあこれまた奇妙なところがあって年に一、二度入れ換わる。バイブルって「神」の発言集じゃん?それが撤回されたり差し換えになったりする。最近では「神」もあまりに忙しいのか不適切な箇所がございました訂正しますって紙が乱暴に挟み込まれてたりしててね、笑っちゃいけないんだけどでも笑っちゃうよね。
そんなもんですか。
書店の光景もあれよという間もなく変わっちゃったね。この三年ほどかな。でも犬猫さん関係の雑誌は堅調みたいだ。
ありがたいことです。
飼い主の妻はどうしてた?うちは暮らしが逼迫してるから泣きそうになりながらも仕方なく国会中継見てたようだけど。
そうなんだ。タマも一緒にテレビ見てあげてたよ。
お利口だね。
そんでね、昨日のこと思い出したんだ。飼い主言ってたよね。オヤジギャグに対してオヤジギャグで批判するなら誰でもできるとかそういうの。タマとしては政治とか哲学とかの話なんだなあとかろうじてわかるものの続きがあるの?
そうだったね。ちなみにタマはどう思う?
ただ単なる駄洒落的な反撃では意味ないとおもう。猫の世界ではそうだよ。目撃者証言によるとタマも保護された時はカラスさんに空を運ばれてる途中でうっかりカラスさんが路上へ落として行ったんだ。タマが何一つしないでなされるがまま落っこちてこなかったら今頃食べられてたらしいって。
それは聞いてる。さらにまだ目の開いてない子猫の頃にアスファルトの上へ直撃だからね。もしかしたら唾液腺嚢胞の原因はそれかも知れない。カラスさんに手術代請求したいところなんだけどカラスさんはカラスさんで食べないと生きていけないから外の世界は外の世界でサバイバルなんだよ。
でもそのこととオヤジギャグ批判が無効だってことと国会中継と一体どんな関係があるの?タマにはまたしてもちんぷんかんぷんになってくる。
今の議員さんたちの政治戦略は限りなくオヤジギャグ批判に等しいってことさ。日本の国会運営は与野党って言っても基本的に二大政党制になってるわけじゃない。さらに必ずしも二大政党制がいいってことでもない。それ以上に最悪なのは問いと答えとが今なおひとつのセットになってるってことなんだ。最大与党の党首がほとんどすべての質問に答えを与える形式なんだけど、質問する側が質問する前すでに返ってくる答えがわかりきってやってる。なんかオヤジギャグみたいな訳のわかんない施政方針に対して追求する側が駄洒落で返してみて何かすげえこと言ってやったって声のトーンを張り上げてどうだ!って顔して見せてる。このままでは責める側も責められる側もそれを真面目に見守ってる国民生活者も全部ひっくるめて三者三様ともに救われないって。そんな状況をまあ喩えて言うとするならオヤジギャグ批判はもはや無効だと飼い主は言いたいわけだね。
ふ~ん。そんな意味があったのかあ。ひと晩寝たら忘れてるかもだけど。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ジャブー。いわゆるブリストル・サウンド。といってもジャブーの音楽自体が色々変化してきたことからもわかるようにその要素はエレクトロニカ、エクスペリメンタル、オルタナティヴ・ヒップホップ、レゲエ、ダブなど解像度を上げていくときりがなく分解されうる。そういう聴き方よりも今作は今作のポップでいいのではと思える。
今日はもうひとつ。ティルザ。ひたすら安全牌ばかり取ってきた日本の歌謡界がとうとう追い抜かれる日はもうそこまで迫ってきている予感がする。実際に一日分追い抜かれたと気づいて慌てて挽回することにしたとしよう。でも他国のアーティストもみんな一日分やるわけで一度開いた距離がさらに開くことはあっても近づくことはない。