二〇二四年十二月十四日(土)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
テレビの人が自分たちのことをオールドメディアって呼んでるのタマ聞いたよ。
そうだね。じゃあSNSはニューメディアってことかな。
全然そんな感じしない。猫でもわかるさ。飼い主はタマのことからかってるの?
あはは、からかっちゃいない。
つい最近あった兵庫県知事選さ、あからさまな問題点を批判的に問いかける住民運動がここ数日で動き出してるって飼い主言ってたじゃん?
うん。夏の東京都知事選の暴挙でも問題にしてたのはSNSじゃなくてテレビだったよね。秋の兵庫県知事選の経過は世界史的に有名な言葉で「二度目は茶番」ってところかもね。都知事選の際にテレビのコメンテーターは言ってたよね、今の公職選挙法は時代遅れだって。秋の兵庫県知事選の結果が出る直前と直後にはもっと大々的に公選法は時代遅れだって我を忘れて連呼していた。いつも同じ顔ぶれのコメンテーターなんだけど、それが今国会が始まるや鳴りを潜めた。そこでまたしてもはっきりしたことがある。公選法は結果次第で同時代的に適切だとされたり時代遅れにされたりするもののひとつに過ぎないってことさ。もっとも差し当たり大事なのは兵庫県住民運動の行方だね。運動方針として、原則的に公選法に従えば、疑問を呈しつつ反対するのがもっぱら正しい。同時代的に適切か時代遅れかというコメンテーターのおしゃべりはただ単なる時間稼ぎでしかない。でも何で適切だとか時代遅れだとか平然と言い放ったかと思えばもう全然違うおしゃべりにうつつを抜かしてギャラが貰える人々がいるのかというと簡単だよ。モンテーニュって人がこう言ってる。
「法律が信用を保つのは、公正であるからではなくて、法律であるからである。これこそ法律の権威の不思議な根拠で、それ以外には何の根拠もない」(モンテーニュ「エセー6・第三巻・第十三章・P.133」岩波文庫 一九六七年)
裁判官のなかにも極めていい加減な人々が山ほどいてるって飼い主ときどき言ってるけど。
そうだよ。学生時代からそれはずっと言ってるな。当時は数え切れないくらいしたし、その子や孫のなかでそのまんま法曹界に入った人間もいるわけでね、事態はますます悪くなる一方。しかしもう一方で新しい世代も生まれてきた。より一層よくなればいいと思ってるんだけど、その前にね、日本の悪い風土を政財官学界を上げて結果的に壊滅するところまで行かないと動くものも動かないかもしれないという懸念は常にある。
そんなに大きな話なの?
いや、世界ではさほど大きくない。日本のなかにばかり引きこもっていると何だかとてつもなく大きな話に見えるから手も足も出しようがないと目に映ってしまうって話でね、いわゆる遠近法がおかしくなるのさ。グローバルだ~と率先して言ってるくせにあまりにものろのろ過ぎるんだな。そしてね、東京や兵庫ではこんなふうにのろのろしていられるにもかかわらず沖縄県辺野古の新基地建設は桁違いの速度で推し進めることができてるのはどうしてかって、誰もが不可解に思ってるわけ。でもそれを表立って口にしにくい空気が充満している点で日本はまたしても太平洋戦争を繰り返してもう取り返しのつかない死へ向けて直行したがってるような気がするのさ。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウール&ザ・パンツ。年末年始の大掃除は師走にまとめてじゃなく一年間通して少しずつやっていくスタイルなので十二月に入ったからといってさほど慌てる必要はない。なので多少なりともいつも世の中とずれているわけだが、そうすることでこんな音楽にもゆっくり耳を傾けて体を休める機会が持てるという利点がある。