白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ412

2024年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二四年十二月十五日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

プリン作ったみたいだけど何だか浮かない顔だよ、飼い主。

 

う~ん。初回のほうが良かった。

 

失敗?

 

失敗じゃないけどさ。これなら昨今無意味に薄味化の激しいスーパーの商品でよかった。

 

どういうこと?

 

玉子が違うのさ。前回は週一で宅配を頼んでる玉子でね、濃い味わいだった。今回はどこのスーパーでもほとんど違わない一番安い玉子を使ったんだ。で、無意味に薄味化の激しいスーパーのプリンみたいになった。お金も手間もかけたわりに、割りに合わない。これじゃせっかくの息抜きが無駄どころかかえってストレスになっちゃう。本末転倒ってこと。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ウール&ザ・パンツ。年末年始の大掃除は師走にまとめてじゃなく一年間通して少しずつやっていくスタイルなので十二月に入ったからといってさほど慌てる必要はない。なので多少なりともいつも世の中とずれているわけだが、そうすることでこんな音楽にもゆっくり耳を傾けて体を休める機会が持てるという利点がある。


Blog21・両義性、ゆえに「本土」はますます沖縄を意識せざるを得ない

2024年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

もう何十年もの長いあいだ取り上げられてきた言葉。小学生の頃すでに耳にしていたとおもう。反戦運動のなかの沖縄の位置ということについて。

 

(1)「沖縄は軍事化の最前線だから 平和のための闘争の最前線でもある それはそうなんだけど だって最前線だもん それでも 沖縄は道具にされてる」(永井玲衣✖️八木咲「せんそうって(3)」『群像・1・P.386』講談社 二〇二五年)

 

(2)「壮絶な強制集団死があったガマに降りる。木々など自然に覆われ、静かで、地上とは違う風が流れている。ガマの中へは、遺族会の意思により立ち入りが禁止されており入ることができない。『皆様が、ガマにはいって私達の肉親を踏み潰していることを、私達は、我慢できません』。きっぱりとした、明確な禁止。怒りの表明。当たり前だ」(永井玲衣✖️八木咲「せんそうって(3)」『群像・1・P.387』講談社 二〇二五年)

 

(1)は反戦運動団体に向けて沖縄の惨劇を運動のための「道具」として利用してほしくないという意味を込めて言われてきた。この声を取り上げて日本政府は長く反戦運動を叩き潰すための「道具」として利用してきた。両方の意味にまとわりつかれている。

 

(2)もまた(1)と同じく反戦運動団体の「道具」として利用されたくないという意味がひとつ。同時にその声を取り上げて反戦運動を叩き潰すための「道具」として日本政府が長いあいだ利用してきた経緯がある。

 

小学生の頃の記憶としてあるということは少なくとも四十八年くらいは経っている。(1)(2)ともに常に両義性にまとわりつかれたまま。折衷案はない。そんな便利な「道具」があればとっくの昔に誰かが見つけて採用されているだろう。

 

永井玲衣はいう。

 

「たやすく感謝することは、苦しみを失うことだ。苦しむことさえ、手放してしまうことだ。沖縄はこちらをじっと見ている。たやすく目を合わせることはできない。だからといって、まぶたを安らかに閉じて微笑みながら感謝してしまうことが、そのまなざしに応答することではない。まなざしに耐えること。まなざしに貫かれ、身動きができなくなること。わたしたちはそうして苦しみを享ける。何もできずに無力感の中にいるのではない。むしろこの苦しみを引き受けなおすことである」(永井玲衣✖️八木咲「せんそうって(3)」『群像・1・P.390』講談社 二〇二五年)

 

永井玲衣がここで言っている「わたしたち」とは一体誰か。反戦を希求する人々だけではまったくない。この「わたしたち」が実効性を持つために必要なのは言うまでもなく、反戦運動を叩き潰すためならありとあらゆるほんの些細な言動を「道具」として取り上げ長いあいだ利用してきた日本政府が、民主主義を通して「わたしたち」のなかへ否応なく入っていることを認めること、すでに関わり合いを持ってしまっていることを認めることなのだろう。認めているからこそ関わってこざるを得ないのだが、どこでどうすれば今のような関わり方になってくるのか不可解であればあるほど「本土」はますます沖縄を意識せざるを得なくなるのだろう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1006

2024年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。体重減量中。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「st epreo」

曲を流すとなぜだかすぐパソコン机の隅に飛び乗る。お気に入りのぬいぐるみを部屋の一方へ投げるとすかさず走ってタッチしに行く。今度は逆方向へぬいぐるみを投げてやるとこれまたすかさず走って行って軽くタッチ。最低音部のグルルル音が決め手なのだろうと思いはする。金属音はほぼない。けれども捏ねくり回すような中低音部が一貫して鳴っており知っている人も少なくないかもしれないが、音響的には、外飼いしている猫や野良猫が屋外で獲物を仕留めた後しばらく獲物の内蔵を弄んでいる時の感触に近いものを感じさせる。野生の本能をくすぐるのかもしれない。ぬいぐるみを噛み噛みしたり蹴り蹴りして飽きない。一曲が短いのでもう一度聴かせてやると相変わらずぬいぐるみを抱き寄せて噛み噛みしたり蹴り蹴りしたり。