白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・「精神錯乱」の「発作」<としての>「眠り」あるいは「器官なき身体」

2022年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
深い眠りから覚めてほぼ日中程度の意識状態が戻ってくるまで、「しばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまった気がする。もはやだれでもないのだ」とプルーストはいう。「もはやだれでもない」にもかかわらず<だれか>ではあるような状態。

「そんな熟眠から醒めてしばらくは、自分自身がただの鉛の人形になってしまった気がする。もはやだれでもないのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.187~188」岩波文庫 二〇一三年)

ではどう言えばいいのだろう。語彙には限界というものがある。ましてやただ単に知識ばかり頭の中にずっしり溜め込んだ「クイズ王」に答えられるような低次元問題とはまるで違う。そんなことは百も承知のプルーストは次のように述べている。

「みずから通過してきたと思われる(とはいえわれわれがいまだに《われわれ》と言うことさえない)真っ暗な雷雨のなかから、まるで墓石の横臥像のように、なんの想念も持たずに出てきたすがたは、いわば中味を欠いた『われわれ』であろう」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・三・P.301~302」岩波文庫 二〇一五年)

この場合のように文学では「第三篇」の中で突如吊り下げられた問いが同じ「第三篇」の中で解答を与えられるとはまるで限らず、「第三篇」の中で出現した問いは「第三篇」の中で解答を与えられなければならないという制度があるわけではさらになく、むしろ「第四篇」の中の或る箇所で不意に、なおかつ「第三篇」の中で突如吊り下げられた問いとの直接的関係抜きに書き込まれていることがしばしばある。

入眠直前、深い眠りを得るために様々な薬物を総覧してみる必要性があった。

「そこまで行くと、たがいに似ても似つかぬ種々の眠りが未知の花々のように生い茂る秘密の花園も、さして遠くはない。ダツラの眠り、インド大麻の眠り、エーテルの多様なエキスの眠り、ベラドンナの眠り、アヘンの眠り、カノコソウの眠りなど、そんな夢の花々は、定められた未知の人がやって来てそれに触れ、花弁を開かせ、驚いて感嘆するその人のうちに特殊な夢にいざなう芳香を長時間にわたって放つまでは、閉じたままでいる」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.184」岩波文庫 二〇一三年)

このような様々な薬物の総覧はまた別の場所で嫉妬とその苦痛の総覧の必要性として出てくる。「あらゆる種類と大きさの苦痛を試してみなければならない」と。

「すくなくとも肉体的な苦痛の場合、われわれはその苦痛を自分で選ぶ必要はない。病気が苦痛を決定し、それをわれわれに課すだけである。ところが嫉妬の場合、われわれは自分にふさわしいと思われる苦痛を見定める前に、いわばあらゆる種類と大きさの苦痛を試してみなければならない。ましてや愛する女がわれわれと性を異にする人たちと快楽を味わっているのを感じる苦痛の場合、それを試してみるにはおないっそうの困難をともなう。なにしろ性を異にする人たちは、われわれには与えることのできない感覚をその女に与えている、というか、そのすがた形やイメージや振る舞いからして、すくなくともわれわれとはまるで違うものをその女にしましているのだから」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.284~285」岩波文庫 二〇一七年)

ところが「眠り」と夢とについて述べたこの箇所では、眠りから覚醒への途中で目を覚そうとする人間が払わなくてはならない健気この上ない奮闘努力の必要性に関して述べないわけにはいかなくなった。

「眠る人が目を覚ますには、たとえ金色(こんじき)に輝くまぶしい朝でも、その人の意志が若きシークフリートよろしく渾身の力で何度も斧(おの)を降りおろさなくてはならない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.186」岩波文庫 二〇一三年)

それほど苦労してやっと起きようかと気持ちが動き出しそうになってきたその瞬間、実に何げなくではあるもののプルーストは間髪入れず次の文章を滑り込ませる。

「そんなありさまなのに、なくしたものを探すみたいに自分の思考や人格を探したとき、どうしてべつの自我ではなく、ほかでもない自分自身の自我を見つけ出すことができるのか?目覚めてふたたび考えはじめたとき、われわれの内部に体現されるのが、なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか?何百万もの人間のだれにでもなりうるのに、いかなる選択肢があって、なにゆえ前日の人間を見つけ出せるのか不思議である」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.188」岩波文庫 二〇一三年)

いかにも「不思議である」。ニーチェのいう習慣がそうさせているとしか考えようがない。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

眠りによる「中断があったのに(眠りが完全であったり、夢がまるで自分とかけ離れたものであったりした)、なにがわれわれを導いているのか?」。眠りという「中断」=「死」があったのは確かだ。にもかかわらずなぜ今朝の<私>が昨夜の<私>と同じ<私>として通用してしまうのか。通例としてそうだからというのでは余りにも横着な論理ではなかろうか。

「たしかに中断があったのに(眠りが完全であったり、夢がまるで自分とかけ離れたものであったりした)、なにがわれわれを導いているのか?心臓の鼓動が止まり、舌を規則的に引っ張られて息を吹きかえすときのように、たしかに死があったのだ。われわれが一度しか見たことのない部屋にもきっとさまざまな想い出をよび覚ます力が備わり、その想い出にさらに古い想い出がつながっているか、あるいはわれわれの内部で想い出のいくつかが眠りこんでいて、目覚めたときにそれが意識されるのだろう。目覚めるさいのーーー眠りというこの恵みぶかい精神錯乱の発作のあとーーー復活という現象は、つまるところ、人が忘れていた名前や詩句や反復句(ルフラン)を想い出すときに生じることと似ているにちがいない。そうだとすると死後の魂の復活も、ひとつの記憶現象としてなら理解できるかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.188」岩波文庫 二〇一三年)

とはいえしかし眠りについてプルーストは「眠りというこの恵みぶかい精神錯乱」と述べるだけでなく「眠りというこの恵みぶかい精神錯乱の発作」と書く。眠りはただ単に或るありふれた「精神錯乱」に過ぎないわけではない。ありふれてはいるけれどもただ単なる「精神錯乱」でしかないどころかその「発作」である。「精神錯乱」の「発作」としての「眠り」。そこで始めて睡眠中の人間の脳機能は解体されているか少なくとも弛緩しているがゆえに、社会的文法=制度から解放されていると言うことができる。そしてそういうのが正しいにしてもなお、ではただ単に「統合失調症万歳」ということにはならないし、またそもそもそういうことではない。はっきりいって精神科領域でいう統合失調症とはほとんど何一つ関係がない。関係がある場合もないではないとはいえ、それは「精神錯乱」の「発作」<としての>「眠り」の一種として、社会的文法=制度の解体された一例として上げることができるに過ぎない。問題はそういうことではほとんどなく、むしろ例えばアルトーが「器官なき身体」や「アナーキー」といった言葉で述べようと欲望している事態に遥かに近い。

なお、TBS NEWS DIGで「コロナ禍で増えたアルコール依存症」を見たところ、番組中で出された見解のうち四分の一は同意できるが四分の一は同意できないと感じ、さらに四分の一は番組内での紹介方法で同意できないと感じた箇所。残りの四分の一はコロナ禍以前からすでに始まっていた悪循環の準備過程であり文字通りコロナ禍以前からの問題として取り扱うべきが妥当なのではと感じた。

(1)同意できる四分の一。家飲み派の増大。しかしこれは以前から指摘されていたことであり何も今になって驚くことではない。普段、学生や社会人の多くが飲酒するのは帰宅時に知り合いたちと、と思い込んでいる。だがコロナ禍でそうした従来型の飲み方は困難になった。するとどうしても飲みたい人々は家飲みへ切り換える。外で飲むのとは比較にならずたいへん安く大量に飲酒できる。経済的だし酒のあてなら夕食のおかずか、それがなければ酒と一緒にコンビニで買って帰る。居酒屋より遥かに廉価で済む。ちなみに滋賀県大津市のとあるコンビニの酒類コーナーで、ウイスキー部門中最も売れている商品はニッカとサントリー「トリス」のいずれもポケット瓶。

(2)同意できない四分の一。今のところ日本でリモートワークに従事できている労働者の数はまだまだそれほど多いとは言えないし思われもしない。とはいえリモートワークの普及が「二十四時間飲酒可能」な条件を業務形態の側から労働者の側へ向けて与えることになったという点は事実。

(3)試みてみる価値はあるが結果的に同意できない事態へなし崩しになだれ込んでいきがちな傾向。酒量チェックについて。小川キャスターは「ハードルが高いと思われるかもしれませんが」というけれども、このフレーズはもう二十五年以上前、四半世紀以上も前から言われ続けてきた「ハードルの低い」試み。ともすればこの期間はどこまでも延長していけるため酒量チェック期間が逆に飲酒期間そのものへなだれ込んでしまう。

(4)同意できない四分の一。一九九〇年代後半から延々と長引く不況のため、不況の二十年間のうちすでに家飲みを始め依存症化した人々が飛躍的に増加傾向を示していたにもかかわらず、その部分を占める人々と今回のコロナ禍をきっかけに家飲みを覚えた人々との区別がなされていない点。二十五年間に渡る日本政府の不況対策失敗を「コロナ禍のせい」へ責任転嫁する報道へすり換えてはいけないということ。

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Blog21・プルーストが語る社会的制度の解体・弛緩としての「短時間の『放心状態』」における睡眠導入剤の選択

2022年05月25日 | 日記・エッセイ・コラム
プルーストはいう。「昼間にやるはずだったことが、眠りの到来とともに夢のなかでようやく成就することもある」。ほとんどすべての読者もまた経験があるのではと思われる。言い換えると、「眠りこむときの屈折を経たうえで、目覚めているときにやるはずだったのとはべつの道をたどって、ようやく成就する」。なかなか眠れない人々、あるいはなかなか眠れない場合、そのような時に人間は「なによりもまず現実のこの世界から抜け出そうとする」。日中の常識的倫理を構成する様々な社会的制度的なステレオタイプ(常套句)・ドグマ(独断)から多少なりとも解放されずに入眠することは誰にもできない。覚醒時の社会的倫理・制度の解体あるいはその弛緩。プルーストのいう「眠り」はそういうものを条件としている。

「昼間にやるはずだったことが、眠りの到来とともに夢のなかでようやく成就することもある。言い換えると、眠りこむときの屈折を経たうえで、目覚めているときにやるはずだったのとはべつの道をたどって、ようやく成就するのだ。同じ物語でも方向を変え、べつの結末になる。とはいえ睡眠中に生きる世界はあまりにも現実とは異なるので、なかなか眠れない人はなによりもまず現実のこの世界から抜け出そうとする。目を閉じてからも目を開けていたときと大差のない考えを何時間も絶望的な気分で想いめぐらしたあと、つい今しがた、論理の法則や現在の明証性とは明らかに相容れない理屈に満たされて頭が朦朧(もうろう)とする一刻があったことに気づくと、やっと元気をとり戻す。そんな短時間の『放心状態』の意味するのは、すぐにも現実の知覚から抜け出す扉が開かれていて、現実から多少とも遠ざかったところでひと休みできる可能性があり、そうなれば多少とも『よく』眠れることだからである。ところで現実に背を向けて、眠りにいたる最初の洞窟にたどり着くとき、すでに大きな一歩は踏み出されている」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.183~184」岩波文庫 二〇一三年)

とあるように、この種の「眠り」のためには「論理の法則や現在の明証性とは明らかに相容れない理屈に満たされて頭が朦朧(もうろう)とする一刻」、「現実から多少とも遠ざかったところでひと休みできる可能性」、それらの必要性が要請される。プルーストはそんな状態を指して「短時間の『放心状態』」と述べる。それなしに眠りに入ることはできないが、それがあれば眠りに入るに際して「すでに大きな一歩は踏み出されている」と。昼夜を問わず覚醒時間中に不可能だったことが時おり可能になるのは逆に「眠り」という「別の仕方」が可能になっていなくてはならない。その時間帯には「すぐにも現実の知覚から抜け出す扉が開かれていて、現実から多少とも遠ざかったところでひと休みできる可能性があ」ると。言い換えれば、「眠り」という「別の仕方」はどのようにして可能となるのか。制度化された<或る価値体系>から制度化されない<別の価値体系>への移動が可能である限りにおいてである。

さて「そんな短時間の『放心状態』」の間に人々は様々な睡眠導入剤を選択する時間を持つ。「ダツラの眠り、インド大麻の眠り、エーテルの多様なエキスの眠り、ベラドンナの眠り、アヘンの眠り、カノコソウの眠りなど」。

「そこまで行くと、たがいに似ても似つかぬ種々の眠りが未知の花々のように生い茂る秘密の花園も、さして遠くはない。ダツラの眠り、インド大麻の眠り、エーテルの多様なエキスの眠り、ベラドンナの眠り、アヘンの眠り、カノコソウの眠りなど、そんな夢の花々は、定められた未知の人がやって来てそれに触れ、花弁を開かせ、驚いて感嘆するその人のうちに特殊な夢にいざなう芳香を長時間にわたって放つまでは、閉じたままでいる」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.184」岩波文庫 二〇一三年)

どれも鎮痙(鎮静)剤の成分として強力なものだが、なかでもプルーストの関心はダツラとベラドンナだったのではと思われる根拠がある。プルーストは幼い頃から花粉の刺激による喘息に悩まされていた。当時の治療薬として主に用いられていたのがダツラとベラドンナ。治療薬といっても完治する病気ではないので今でいう花粉症の季節でなくても喘息発作に襲われることがしばしばあり当面の対処法に過ぎない。しかし当面の対処法に過ぎないとはいうものの、それなしに喘息の苦悶や死から逃れることはできなかった。ベラドンナに類似した植物は日本にも自生しており和名「セイヨウハシリドコロ」。それらから抽出されるスコポラミンやアトロピンなどの成分を主軸とする鼻炎薬や風邪薬は今でもごく普通の薬局薬店で販売されている。総合感冒薬の主成分はエフェドリンやジヒドロコデイン、アセトアミノフェンなどだが特に鼻炎や鼻水、鼻づまりにはスコポラミン、アトロピンが有効とされる。言うまでもなく個人差あり。

また、今回のコロナ禍によるワクチン接種で出現する痛み止めにイブプロフェンなどが推奨されていたし実際に有効。だがしかしイブプロフェンに依存性はないかというとそんなことはない。ネット検索してみるとアセトアミノフェンやイブプロフェンには依存性に関する報告はほとんどないかのように書かれているものが見られるけれども、実際はエフェドリン(覚醒剤原料)やジヒドロコデイン(コデイン依存症者であるとともにアルコール依存症者としても有名だった日本の作家に中島らもがいる)に依存する患者がいるようにアセトアミノフェンやイブプロフェンに依存する患者もいる。さらにアルコールとの同時摂取となるともう大量にいる。

だからといって睡眠中、「人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる」。従って目覚めると「本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある」。プルーストは、睡眠から目覚めれば一刻も早く自分を取り戻さなければならない、ということを言っているわけではない。そういうことではなく、目覚めたことでなぜ慌てなければならないのかと問う。「序列がこんがらがったり、途切れてしまったりする」ばかりか「すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない」とさえ思う。なぜなら、そもそも「序列はこんがったり途切れたりするものであり」なおかつ「猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐ」ってしまうため「まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思」ってしまうほど事物の因果関係に自信を持つことができない極めて不安定な記憶装置しか持ち得ない頼りない生きものなのだ。なかでも「途切れ」とあるように、経験した諸事物の記憶はア・プリオリに結びついているわけではまるでなく、同じ経験が何度か繰り返されることでそこにだんだん繋がりが生まれ、やがて習慣化・制度化されるものでしかない。従ってそれぞれの素材は本来的にばらばらな<諸断片>の状態にあってこそむしろア・プリオリなのである。そうでなくては「見違い・言い違い・勘違い」など発生する理由一つない。

「人は眠っていても、自分をとり巻くさまざまな時間の糸、さまざまな歳月と世界の序列を手放さずにいる。目覚めると本能的にそれを調べ、一瞬のうちに自分のいる地点と目覚めまでに経過した時間をそこに読みとるのだが、序列がこんがらがったり、途切れてしまったりすることがある。かりに眠れないまま明けがた近くになり、本を読んでいる最中、ふだん寝ているのとずいぶん違う格好で眠りに落ちたりすると、片腕を持ちあげているだけで太陽の歩みを止め、後退させることさえできるので、目覚めた最初の瞬間には、もはや時刻がわからず、寝ようと横になったところだと考えるかもしれない。眠るにはさらに場違いな、ふだんとかけ離れた姿勢、たとえば夕食後に肘掛け椅子に座ったままでうとうとしたりすると、その場合、大混乱は必至で、すべての世界が軌道を外れ、肘掛け椅子は魔法の椅子となって眠る人を猛スピードで時間と空間のなかを駆けめぐらせるから、まぶたを開けるときには、数ヶ月前の、べつの土地で横になっていると思うかもしれない」(プルースト「失われた時を求めて1・第一篇・一・一・一・P.29」岩波文庫 二〇一〇年)

そして夢が覚めて起きようとしても眠りの状態からすぐにすっきりした覚醒状態へ移動するわけではない。その間についさっき見た夢は加速的に崩壊していく。夢の面影はもはや「すぐに腐敗する死体とか、ひどく傷んで原型とどめず、いかに腕の立つ修復家といえどもなんらかの形に戻すことはできず、手の施しようのない品物とかの場合」に等しいくらい解体され消失する。

「夢へと通じるこの部屋では失恋の悲しみの忘却もたえず進行していて、その忘却の仕事は、ときにおぼろな想い出に満ちた悪夢によって中断され破綻することはあっても、すぐに再開される。そんな部屋の薄暗い内壁には、目が覚めたあともさまざまな夢の想い出がぶらさがっているが、闇に沈んでいるため、われわれがはじめてそれに気づくのは、たいてい真っ昼間になって、たまたま同様の想念の光がそれを照らし出すときにすぎない。そのような夢の想い出のいくつかは、眠って夢を見ているあいだは調和がとれて明快だったのに、すでにその面影を喪失していて、もはやそれとわからぬわれわれは急いでそれを土に返すことしかできない。すぐに腐敗する死体とか、ひどく傷んで原型をとどめず、いかに腕の立つ修復家といえどもなんらかの形に戻すことはできず、手の施しようのない品物とかの場合と同じである。ーーー鉄柵のそばには採石場があり、深い眠りはそこから非常に頑丈な物質をとり出し、それでもって眠る人の頭を塗り固めてしまうから、眠る人が目を覚ますには、たとえ金色(こんじき)に輝くまぶしい朝でも、その人の意志が若きシークフリートよろしく渾身の力で何度も斧(おの)を降りおろさなくてはならない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.185~186」岩波文庫 二〇一三年)

プルーストは生涯を通じて不眠症を患ったり悪夢にうなされたりするよりも、心地よく眠る経験の多い人間だったのかもしれない。「眠る人が目を覚ます」とき、必要な作業として、「たとえ金色(こんじき)に輝くまぶしい朝でも、その人の意志が若きシークフリートよろしく渾身の力で何度も斧(おの)を降りおろさなくてはならない」と書いている。「若きシークフリートよろしく渾身の力」であれば、そして「何度も斧(おの)を降りおろさなくてはならない」としても、「眠り」から覚めることはできたわけだ。たまに悪夢を見ることもあったにせよ見た夢がほとんどすべて悪夢ばかりというわけではないという点で途方もなく恵まれていると言わねばならない。「ジークフリート」はワーグナー「ニーベルンゲンの指輪・第三作・ジークフリート」の主人公。

ワーグナー楽劇『ニーベルンゲンの指輪』から「ジークフリート葬送行進曲」

なおウクライナ情勢について。東浩紀「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」を念頭に上田洋子は書いている。

「共産主義社会の廃墟としてのチェルノブイリの風景」(「チェルノブイリを観光する」『ウクライナを知るための65章』明石書店 二〇一八年)

とすれば「資本主義社会の廃墟としてのフクシマの風景」があったとしても全然不自然ではないのである。

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Blog21・身体から出現し身体を包み込む夢の機能

2022年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム
慣れない場所で初めて眠ることになったとき「私の夢に出てきたもろもろのイメージは、ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」。そして「私の夢の新たな流れが修正されたり維持されたりする」とプルーストはいう。読者もまたそれはそうだろうと通例は思う。しかしプルーストが「外界の知覚と同じよう」な「進行」というのはあくまで<表層的>という意味で言われているのであって、現実的とか逆に抽象的とかいう意味ではない。

また「われわれの習慣に変更が加えられるだけで眠りは詩的なものとな」る。習慣化・制度化されてもはや凡庸となった生活様式に多少なりとも暴力的衝撃が与えられることで夢を構成する様々な素材がランダムに置き換えられ「詩的なもの」=<重層的決定のモザイク的組み換え>が行われ押韻化する。次の箇所で「眠りの規模が変わって眠りの美しさが感じとれる」とある。プルーストではいつもそうなのだが「眠りの規模が変わ」るというのは「眠りの」<次元>が変わるということを言いたがっているように思われる。なのでその「美しさ」はほぼ間違いなく、思いがけず出現したがゆえの<美>ということになるだろう。

「眠りながら私は、今夜もふだんの記憶のほうへ引き寄せられたいと願うのだが、慣れないベッドや、寝返りをうったときの姿勢に払われざるをえない心地よい注意力が存在するだけで、私の夢の新たな流れが修正されたり維持されたりするのだ。眠りというのは、外界の知覚と同じように進行するものらしい。われわれの習慣に変更が加えられるだけで眠りは詩的なものとなり、服を脱ぎながらうっかりベッドのうえで寝てしまうだけで眠りの規模が変わって眠りの美しさが感じとれる」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.180~181」岩波文庫 二〇一三年)

屋外を軍楽隊の演奏が通り過ぎていく。派手な行進曲のはずなのだが入眠間際の状態の中では、ほとんど小鳥のさえずりででもあるうかのようだ。それでもなお「静寂」は一旦「中断」されている。切断がある。そして軍楽隊の通過の後に再び、また新しく、「静寂」が始まる。覚醒時にサン=ルーから「音楽が聞こえたかと訊ねられたとき」、昼間の<私>の感性にとって、「町の敷石の上方にわずかな物音が聞こえると楽隊の音だ」と、両者を等価なものとして捉えるのと同じくらい戸惑いを覚える。「楽隊の音を聞いたのは夢のなかのできごとにすぎず、それは目が覚めるのではないかと怖れたせいなのか、それとも逆に目が覚めずに分列行進を見損なうのではないかと怖れたせいなのか」、<位置決定不可能性>の中で「考えこんでしまう」ほかない。

「静寂が音楽と化したそんな中断を経て、わたしの眠りとともに静寂がふたたび始まると、そのあとではいくら機甲部隊が通りすぎても、ほとばしり出る音の束が触れたのは私の意識のごく限られた部分で、しかもその部分も眠りにとり巻かれているから、ずっと後にサン=ルーから音楽が聞こえたかと訊ねられたときもまるで自信がなく、昼間、町の敷石の上方にわずかな物音が聞こえると楽隊の音だと思ったのと同じで、それも同様の空耳ではなかったかと戸惑い、もしかすると楽隊の音を聞いたのは夢のなかのできごとにすぎず、それは目が覚めるのではないかと怖れたせいなのか、それとも逆に目が覚めずに分列行進を見損なうのではないかと怖れたせいなのか、と考えこんでしまう」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.182」岩波文庫 二〇一三年)

しかしなぜそう感じるのか。「物音で目が覚めたのだろうと考えたときでもしばしば眠っていることがあるからで、そんなときは一時間ものあいだ眠りながら目を覚ました気になっている」からだと。読者の多くもまたしばしば体験した記憶があるだろう。この箇所で「私の眠りのスクリーン上」とある。夢を見ている最中、夢の舞台はどこにあるのか。「スクリーン上」にある。要するに夢は深層にあるものが上昇してきて見えているわけではまるでなく、逆に「スクリーン上」の映像を夢という形式における<表層>を捉えているばかりである。だから眠っているにもかかわらず「或る光景」が演じられているのを実際に見るというのはいかにもおかしな事態なのだが、夢は睡眠中にしか出現できないという条件のもとに限り、「私自身はその光景に居合わせている」という<倒錯>を「錯覚」として捉えているに過ぎない。

「そんなことを言うのも、物音で目が覚めたのだろうと考えたときでもしばしば眠っていることがあるからで、そんなときは一時間ものあいだ眠りながら目を覚ました気になっている。そんなふうに私は、私自身のために私の眠りのスクリーン上にかすかな影としてさまざまな光景を映し出していたが、眠りは私がその光景に居合わせるのを妨げているのに、私自身はその光景に居合わせているものと錯覚するのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.182~183」岩波文庫 二〇一三年)

むしろかえってこの種の<倒錯>が夢の中で、私自身をその光景に居合わせずにはおかない条件をなす。夢を見るのは睡眠中でなければならないのだ。従って夢を見る必要最低条件は睡眠中に出現する<表層>との不意打ち的出会いという形式においてでなくてはならないと言えるだろう。

また少し前に引いた箇所。「慣れないベッドや、寝返りをうったときの姿勢に払われざるをえない心地よい注意力が存在するだけで、私の夢の新たな流れが修正されたり維持されたりする」。この種の夢についてニーチェはいう。

「《夢の論理》。ーーー睡眠中、たえずわれわれの神経組織は多様な内的誘因によって刺激をうけ、ほとんどあらゆる器官が分泌し活動している。血液は烈しく循環し、睡眠者の姿勢は身体の個々の部分を圧迫し、その掛け布団は感覚にいろいろの影響を与え、胃は消化してその運動で他の器官をさわがせ、内蔵はのたうちまわり、頭の位置は常ならぬ筋肉の状態を伴い、地面を足裏で押していない跣(はだし)の足は、全身のちがった身なりと同様、常ならずという感情をひき起こすーーーこれらすべては、日によって変化や度合がちがうが、その異常性によって全組織を頭脳の機能にいたるまで刺激する、それで精神にとっては、怪しんでこうした刺激の《根拠》を求めるための百の誘因があるわけである、ところが夢は、刺激を受けたあの感覚の原因、すなわち憶断的《原因の探究および表象》なのである。たとえば足を二本の革ひもで巻いている人は、多分二匹の蛇が足にからみついている夢をみるであろう、これははじめは一つの仮定であり、ついで信念となって具象的表象や虚構を伴ってくる、『これらの蛇は、睡眠中のわたしが感じるあの感覚の《原因》であるにちがいない』、ーーーと睡眠者の精神は判断する。こう推論された直前の過去が、刺激を受けた空想力によって、彼には現に在るものとなる。それで夢みる人が、彼に迫ってくる強い物音、たとえば鐘のひびきや砲撃を、いかにすばやく夢の中へ組み入れるかを、つまり彼は夢を出発点として《後から》説明を加えるのであるから、はじめに誘因となる状態を体験し、ついであの物音を体験すると《思いこむ》ことになるのを、だれでも経験から知っている。ーーーしかしながら夢みる人の精神がいつもそのように的(まと)をはずれているのはどうしてだろう、一方同じ精神が目覚めていると、きわめて冷静で用心深く、仮説に関してかくも懐疑的であるのを常としているのに?ーーー或る感情の説明のため、手あたり次第に仮説に甘んじて、すぐその真理を信じてしまうのは?ーーー(なぜならわれわれは、夢の中で夢を、それが現実であるかのように信じる。すなわちわれわれの仮説が完全に証明されたものとみなすのであるから。)ーーーわたしの考えでは、今なお人が夢の中で推理しているようなぐあいに、人類は《目覚めているときにもまた》幾千年を通じて推理したのであった、なにか説明を要するものを説明するために、精神の思いついた最初の《原因》が彼を満足させ、真理として通用したのであった。(旅行者の話によれば、未開人は今日もなおそうしている。)夢の中でわれわれの内部にある人間性のこの太古の部分が訓練をつづけている、なぜならそれは、いっそう高い理性が発展してきてさらに各人のところで発展していくさいの基礎だからである、夢はわれわれを人間文化のずっと以前の諸状態へとふたたびつれもどし、その状態をいっそうよく理解する手段を手渡してくれる。夢想がわれわれに今ではきわめてやさしいのも、われわれが人類のおそろしく長い発展期のうちに、最初の勝手な思いつきからでた空想的な安価なこの説明様式をこそ実にうまく仕込まれてきたからである。そのかぎり夢は、高級文化によって申し立てられているような、思考に対するさらに厳しい要求を、日中は満たさなくてはならない頭脳のための一つの休養である。ーーー類似の事象を、まさに夢の門や玄関として、悟性の醒めているおりでもなお検証することができる。われわれが眼を閉じると、脳髄は一群の光の印象や色彩を産み出す、多分、日中頭脳に侵入しているあらゆるあの光の作用の一種の余波や反響なのであろう。ところが悟性は(空想力と結託して)、それ自身は形のないこの色彩の戯れを、ただちに一定の図形・形態・風景・生物群にしようと細工する。このさいの本当の過程は、またもや結果から原因への一種の推理なのである。どこからこの光の印象や色彩が来るのであるか、と問いながら、精神は、原因としてあの図形や形態を想定する、それらが精神によってあの色彩や光の誘因とみなされるのは、日中眼を開いているさい、どの色彩にもどの光の印象にも誘発的原因をみつけるのに、精神が馴れているからである。したがってここでは空想力は、その産出にあたり日中の視覚印象によりかかりながら、たえず映像を精神に押しつける、そして夢想力もまさにそのとおりにする、ーーーつまり憶断的原因が結果から推論され、結果の《後を追って》表象される、これはすべて異常にすばやく行なわれるので、ここでは、手品師のところでのように、判断の混乱が生じ、前後関係がなにか同時のもののように、逆の前後関係のようにすらみえかねないのである。ーーーこうした事象からわれわれは、われわれの理性や悟性の機能が《今なお》思わずあの原始的な推理形式に後もどりしたり、われわれの生涯のほとんど半分をこの状態でくらしたりしているからには、もっと鋭い論理的思考、原因・結果の厳密な取り扱いが《いかに遅れて》発展させられてきたか、ということを推察できる。ーーー詩人や芸術家もまた、自分の気分や状態に、全然ほんとうではない原因を《なすりつける》、そのかぎりで彼は古代の人間を思い出させ、われわれが古代人を理解するたすけとなりうるのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・十三・P.36~39」ちくま学芸文庫 一九九四年)

睡眠中の人間の脳機能は日中の常識を構成する様々な社会的制度的なステレオタイプ(常套句)・ドグマ(独断)から解き放たれているか少なくとも弛緩させている。それこそが夢を見る条件になるわけだからプルーストのいう「錯覚」は<倒錯>した形式で出現する表層という意味において全然「錯覚」ではない。夢は<私>の身体・脳内で出現しているとともに<私>の身体・脳機能は<私>が見る夢の中へすっぽり包み込まれている。

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Blog21・プルーストにおける制度化崩壊<異なる記憶からの借用>

2022年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
ドンシエールの兵営にあるサン=ルーの部屋に移った<私>。朝早く窓から見える景色はのどかな田園風景だ。プルーストはその風景を「お隣の女性ともいうべき」と書き込む。霧がかっている。サン=ルーの部屋と同じ高台の丘陵地帯にあるためその丘は「未知の女」に見える。ところがそれが「習慣」になると、言い換えれば「制度化」されると、まだ霧に曇って視界不良であるにもかかわらずあたかもバルベックの田舎の風景を見ているのと同様手に取るように見える。もはや「未知の女」ではなく、懐かしさはあるものの「ただの女」でしかなくなる。とともにコンブレーで「マドレーヌ」だったものがドンシエールでは「ココア」に置き換えられている点に注目したい。

「霧氷の幕ごしに透けて見える丘は未知の女というべきか、はじめて私を見つめるこの女に、私の目は釘づけになった。ところがやがて兵営にやって来るのが習慣になってしまうと、丘がそこにあるという意識は、たとえ丘を見ていなくても、バルベックのホテルやパリのわが家など、不在の人や死んだ人のようにもはやそれが存在すると信じていなくても想いうかべられるものより、はるかに現実味を帯びる結果、その丘の形は、たとえそうとは気づかずとも、私がドンシエールで受けたきわめて些細な印象を背景につねに浮かびあがるようになり、まずは手はじめに、その朝、サン=ルーの従卒がこの快適な部屋でつくってくれたココアから私が受けたあたたかく心地よい印象を背景に浮かびあがった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.173」岩波文庫 二〇一三年)

とはいえ「マドレーヌ」を観念連合の起源として位置づけるステレオタイプ(常套句)・ドグマ(独断)はもういい加減によそう。神話に過ぎないことをいつまでも偽り続けるのは詐欺に等しい。むしろ逆に観念連合が成り立つ条件はなぜなのかが問われねばならない。ウィトゲンシュタインから二箇所。

(1)「名ざすということは、一つの語と一つの対象との《奇妙な》結合であるように見える。ーーーかくして、哲学者が、名と名ざされるものとの関係《そのもの》を取り出そうとして、眼前のある対象を凝視しつつ、なんべんもある名をくり返し、あるいはまた『これ』という語をくり返すとき、ある奇妙な結合が実際に生じてくる」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・三八」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.46』大修館書店 一九七六年)

(2)「『ノートゥングには鋭い刃がある』という文章は、ノートゥングがすでに打ち砕かれている場合でも意義をもつ、とわれわれは言った。すると、そうなっているのは、この言語ゲームにおいては、一つの名が、その担い手を欠いている場合でも慣用されているからである。しかし、われわれは、名(すなわち、われわれが確かに『名』とも呼ぶであろうような記号)を伴った一つの言語ゲームを考え、その中では、名が担い手の存在している場合にだけ慣用され、したがって、直示の身振りを伴った直示的な代名詞によって《常に》置きかえられうる、というふうに考えることができよう」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・四四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.50』大修館書店 一九七六年)

またしかしフロイトが述べたことはすべてまったくの神話かといえば、おそらく確実に、そして同時に、そうではないとも言われねばならない。プルーストが「失われた時を求めて」を執筆していた頃「ヒステリー患者」は特に上流階級の女性に多かった。貴婦人たちはただ単に子供を生産するための機械として機能すればそれでよかったわけで、女性たちの性的欲望は満足を得られることなく見捨てられ、<力=欲望>は社交界での情報収集装置としての機能へ置き換えられた。そのため上流階級社交界に属するヒステリー患者が多く研究する機会を得ることができたのは確かだろう。第二次世界大戦後、「ヒステリー」という用語は徐々に使用されなくなり今は「心身症」と呼ばれる。精神的症状が内的に身体の病気へ変換されて出現する。しかしプルーストがフロイトにヒントを得てそう書き込んだわけではなく、フロイト「夢判断」が出版された一九〇〇年当時、フロイトだけでなくプルーストの周囲にその種の症状を呈する上流階級の女性が多発していたためプルーストの記述がフロイトをはじめとする精神病理学者たちの記述と偶然にも奇妙な一致を示したのは事実だ。従って「マドレーヌ=コンブレー」、「ココア=ドンシエール」、として接続されたのも無理はない。しかしウィトゲンシュタインがいうように「ノートゥングがすでに打ち砕かれている場合でも」同一の言語ゲームの中では「『ノートゥングには鋭い刃がある』という文章はーーー意義をもつ」。なぜならそもそも<諸断片>でしかない無数の素材がばらばらに散在しており、それらがフロイト自身の欲望の<ストーリー>に従って立ちどころに再創造された<モザイク>こそフロイトのいう観念連合だからである。

「その部屋は、丘を眺めるための視覚の中心をなすように思われたのである(その丘を眺める以外のことをしたり、丘を散歩したりしようと考えるのは、そこに垂れこめる例の霧のために不可能だったからだ)。この霧は丘の形を湿らせたばかりか、ココアの味をはじめ当時の私がいただいた一連の想念のすべてに結びつき、たとえ霧のことなどまったく考えていなくても、当時の私のあらゆる想念を湿らせた。色褪せることのない純金の輝きが私のバルベックの印象と結びついたり、すぐそばに黒っぽい砂岩の外階段が存在することで私のコンブレーの印象がなにやら灰色濃淡画(グリザイユ)めいたものになったりしたのと軌をを一(いつ)にする」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.173~174」岩波文庫 二〇一三年)

だが<私>は二日経っただけでサン=ルーに紹介された恐ろしく古典的なホテルで宿泊することになる。古典的なホテルは「習慣・制度」として同一化されておらず、正面玄関に見えない文字ででかでかと「拒否」と書き込まれて見えるに違いないからである。恐怖の対象でしかなかった。

「ホテルでは否応なく悲しみを味わうことになるのは目に見えていた。その悲しみは、私が生まれてこのかた、すべての新しい部屋が、といういことはすべての部屋が、私のために発散する、いわば吸ってはいけない芳香だった。ふだん住んでいる部屋では、私はそこにいないも同然で、私の思考はべつのところにいて身がわりに『習慣』を部屋に送りこんでいるにすぎない。ところが新しい土地では、私ほど敏感ではないこの『習慣』という女中に身のまわりの世話をさせることができず、私ひとりが先に到着して『自我』をさまざまなものと接触させるほかないのだ」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.174~175」岩波文庫 二〇一三年)

しかし案に相違して居心地がいいのである。ポー「アッシャー家の崩壊」の舞台を思わせる十八世紀以来使われた痕跡のない<断片>ばかりで構成された「亡霊じみた」館。絢爛豪華だったに違いない禍々(まがまが)しい素材の数々。ゆえにその夜に見た夢は「ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」。

「私はベッドに入った。ところが掛け布団やベッドの小円柱や小さな暖炉が存在するせいで、私の注意力はパリにいるときと違って格段に高まり、いつもの平凡な夢想の流れに身を任せることができない。さらに、そんな注意力の特殊な状態が眠りをつつみこみ、眠りに作用をおよぼし、眠りを想い出のあれこれと対等に結びつけるから、この最初の夜、私の夢に出てきたもろもろのイメージは、ふだん私の眠りが利用する記憶とはまるで異なる記憶から借用してきたものとなった」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.180」岩波文庫 二〇一三年)

人間が夢を見る時、その夢を構成する素材は比較的近い過去、その日の日中に見たものなら大抵なんでも利用されるとフロイトはいう。そしてそもそも夢には「助詞がない」。睡眠中の人間の脳内では社会的文法が崩壊しているか少なくとも弛緩している。そこで脳機能は「助詞抜き」でなおかつ記憶に新しい或る言葉や或る断片ばかりの素材を用いて夢を実現させて見せる。さらにニーチェはいう。

「われわれはみな夢の中ではこの未開人に等しい、粗雑な再認や誤った同一視が夢の中でわれわれの犯す粗雑な推理のもとである。それでわれわれは夢をありありと眼前に浮べてみると、こんなにも多くの愚かさを自分の中にかくしているのかというわけで、われながらおどろく。ーーー夢の表象の実在性を無条件に信じるということを前提にすると、あらゆる夢の表象の完全な明瞭さは、幻覚が異常にしばしばあって時には共同体全体・民族全体を同時に襲った昔の人類の諸状態を、われわれにふたたび思い出させる。したがって、眠りや夢の中でわれわれは昔の人間の課業をもう一度経験する」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・十二・P.36」ちくま学芸文庫 一九九四年)

なお昨日発生した福島県地震について。滋賀県で揺れは感じられなかったけれども報道を見てふと思い出した。

「Xアルバム3表 1950年代後半〜1960年代前半」『フランシス・ベーコン(バリー・ジュール・コレクションによる)・P.60』(求龍堂 二〇二一年)

絵画である。顔の上半分が匿名化された絵画。いずれ述べたいとおもう。

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Blog21・加速主義前夜へのプルースト上流社交界

2022年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム
結局サン=ルーの部屋で睡眠をとることになった<私>。サン=ルーが帰ってくるまで横になる。部屋のドアを開けようとすると「なかからなにか動く音が聞こえてきた」。部屋へ入って見ると暖炉の火が燃えている。「動く音」の正体について「火はじっとしていることができず、つぎつぎと薪(まき)の位置を、しかもひどく不器用に動かしていた」からだった。ところがもし<私>が「壁の向こう側にいたら、だれかが鼻をかんで歩いているところだと思ったにちがいない」とプルーストはいう。部屋の中に入って始めて「炎があがるのを見ているからそれが火の音だとわかる」。この箇所のシニフィアン(意味するもの)は「薪が燃えて動く音」。

「私はサン=ルーの部屋だと教えられた部屋の、閉ざされたドアの前でいっとき立ち止まった。なかからなにか動く音が聞こえてきたからである。なにかを動かしてべつのものを落とす音で、部屋は空っぽではなく、だれか人のいる気配がする。だがそれは、暖炉の火が燃えているだけだった。火はじっとしていることができず、つぎつぎと薪(まき)の位置を、しかもひどく不器用に動かしていたのである。私がなかに入ると、火は薪のひとつを転がし、べつの薪をくすぶらせた。火は、たとえ動かないときでも、行儀の悪い人たちと同じようにひっきりなしに物音を立てる。私は炎があがるのを見ているからそれが火の音だとわかるが、かりに壁の向こう側にいたら、だれかが鼻をかんで歩いているところだと思ったにちがいない」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.159~160」岩波文庫 二〇一三年)

部屋にはサン=ルーの叔母ゲルマント公爵夫人の写真が飾ってある。目に入るや否や欲望を覚える。とともに友人としてのサン=ルーの存在価値はたちまち上昇する。

「この写真の持主であるサン=ルーからそれをもらえるかもしれないという考えが浮かび、私にはサン=ルーがいっそう大切な存在となり、その役に立てるならどんなことでもしたい気持になった。この写真がもらえるのなら、どんなことも大したことではない気がしたのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.170」岩波文庫 二〇一三年)

<私>は「どんなことも大したことではない」という。言い換えれば具体的にどういうことか。以前論じた。「死さえ取るに足りない」と。

「プチット・マドレーヌの味覚が私にコンブレーを想い出させてくれたのである。それにしてもなぜコンブレーとヴェネツィアのイメージが、それぞれが想い出された瞬間、それ以外にはなんの根拠もないのに、死さえ取るに足りないものと想わせるほどのなにか確信にも似た歓びを与えてくれたのだろう?」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.433」岩波文庫 二〇一八年)

ところがこの問いは十九世紀のうちにニーチェがすでに解いていたものだ。もっとも、当時ニーチェの著作はほとんど売れず、どの読者からもほぼ完全に無視されてしまったわけだが。人間は不可解な難問を前にした時、いつも持ち合わせの言葉をいろいろと組み合わせることで説明に置き換えて述べ、そうするやもうこの上ない大役を果たしでもしたかのように自他ともに解答を与えたつもりになる。プルーストがいつも「マドレーヌ」へ舞い戻ってきてしまう理由は、ニーチェに言わせればこういうことだ。「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる」。だからプルーストはいつも間違ってしまう。

「何か未知のものを何か既知のものへと還元することは、気楽にさせ、安心させ、満足させ、しかのみならず或る権力の感情をあたえる。未知のものとともに、危険、不安、憂慮があたえられるが、ーーー最初の本能は、こうした苦しい状態を《除去する》ことにつとめる。なんらかの説明は説明しないよりもましである、これが第一原則にほかならない。根本において、問題はただ圧迫する想念から脱れたいということのみにあるのだから、それから脱れる手段のことは、まともに厳密にはとらない。未知のものを既知のものとして説明してくれる最初の思いつきは、それを『真なりとみなす』ほど気持ちよいのである。真理の標識としての《快感》(「力」の証明)。ーーーそれゆえ、原因をもとめる衝動は恐怖の感情によって制約されひきおこされる。『なぜ?』という問いは、できさえすれば、原因自身のために原因をあたえるというよりは、むしろ《一種の原因》をーーー一つの安心させ、満足させ、気楽にさせる原因をあたえるであろう。何かすでに《既知のもの》、体験されたもの、回想のうちへと書きこまれているものが原因として措定されるということは、この欲求の第一の結果である。新しいもの、体験されていないもの、見知らぬものは、原因としては閉めだされる。ーーーそれゆえ、原因として探しもとめられるのは、一種の説明であるのみならず、《選りぬきの優先的な》種類の説明であり、見知らぬもの、新しいもの、体験されていないものの感情が、そこでは最も急速に最も頻繁に除去されてしまっている説明、ーーー《最も習慣的な》説明である。その結果は、一種の原因定立が、ますます優勢となり、体系へと集中化され、最後には、《支配的となりつつ》、言いかえれば、《他の》原因や説明を簡単に閉めだしつつ、立ちあらわれるということになる」(ニーチェ「偶像の黄昏」『偶像の黄昏・反キリスト者・P.62~63』ちくま学芸文庫 一九九四年)

その種の間違いを犯さないようにするには、ではどうすればいいか。意識的状態はいつも「恣意的」でしかありえない。先入観が割り込んでくるか先に先入観の側が地盤を占拠している。そんな場所へ探りを入れてみても転がり出てくる答えがいつも同じなのは当り前だ。次のセンテンスでプルーストが論じているのは、意識的状態に常にまとわりついて離れない「恣意的」な思考からの脱却必要性である。そのためには「偶然・不意打ち・想定外の暴力との出会い」が必要だと述べる。

「なぜなら、白日の世界において知性がじかに透かして把握する真実は、人生が印象としてわれわれに思いがけず伝えてくれる真実に比べれば、さほど深いものでも必然的なものでもないからだ。要するに、マルタンヴィルの鐘塔の眺めが与えてくれたような印象であろうと、不揃いなふたつの敷石やマドレーヌの味覚が与えてくれたような無意識の記憶であろうと、どちらの場合も、私が感じたものを考え抜くことによって、つまり私が感じたものを薄暗がりからとり出してその精神的等価物に転換するよう努めることによって、ひとつひとつの感覚をそれぞれの法則と思考を備えた表徴として解釈しなければならなかったのである。ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外のなにであろう?しかもすでにさまざまな結果が私の頭のなかにひしめいていた。というのも、フォークの音やマドレーヌの味覚といったたぐいの無意識の記憶であれ、鐘塔や雑草といった形象が私の頭のなかに複雑な花をつけた判じ物を形づくり、私がその意味を明らかにしようと努める形象の助けを借りて記された真実であれ、その第一の性格は、私がそれらを自由に選べるわけではないこと、そうした記憶や真実はあるがまま私に与えられているということであった。私はこの事実にこそ、そうした記憶や真実が正真正銘のものであるという極印(ごくいん)になると感じた。私は中庭に不揃いなふたつの敷石を探しに行って、それにつまずいたわけではない。そうではなく偶然、避けようもないものとしてその感覚に出会ったこと自体が、その感覚でよみがえらせた過去の真正さと、その感覚が生じさせたイメージの真正さを保証してくれる。なぜならわれわれは、明るい光のほうへ浮上しようとするその感覚の努力を感じるからであり、ようやく見出された現実の歓びを感じるからだ。またその感覚は、そこからひき出される当時の印象からなる画面全体に、光と影、起伏と欠如、回想と忘却などを間違いのない割合で配合し、その画面の真正さをも保証してくれる。意識的な記憶や観察では、そのような割合の配合は永久に知られないだろう。未知の表徴で記された内的な書物となれば(その表徴には起伏があるらしく、私の注意力は、わが無意識を探検しながら海底を探る潜水夫のように探りを入れ、ぶつかりながらその輪郭を描こうとした)、その表徴を解読するのに、いかなる形であれ私を手伝ってくれる者はひとりもなく、その解読は、だれに代わってもらうこともできずだれかに協力してもらうことさえできない、創造行為なのである。それゆえいかに多くの人がそのような書物を書くことから離れてしまうことだろう!人が多くの責務を引き受けるのは、この責務を避けるためではないか!ドレフェス事件であれ戦争であれ、あれやこれやのできごとが、作家たちは正義の勝利を確かなものにしたり民族の精神的統一をとり戻したりすることに意を注ぎ、文学のことなど考える余裕がなかったのだろう。しかしそんなことは言い訳にすぎない。そうなったのは、作家たちが才能、つまり本能をもっていなかったか、もはやそれを失っていたからだ。というのも本能は義務を果たすよう強いるが、知性はその義務を回避するさまざまな口実を提供するからである。ただし芸術のなかには、そんな口実はあらわれないし、意図などものの数にもはいらない。芸術家はいかなるときも自分の本能の声に耳を傾けるべきで、そうしてこそ芸術はこのうえなく現実的なものとなり、人生のこのうえなく厳格な学校となり、真に最後の審判となるのだ。その書物は、あらゆる書物のなかでいちばん解読に苦労する書物となるが、同時に、現実がわれわれに書きとらせた唯一の書物、現実そのものがわれわれのうちに『印象』を『印刷』してつくらせた唯一の書物である。人生がわれわれのうちにいかなる想念を残そうとも、その想念の具体的な形、つまりその想念がわれわれのうちにつくりだすさまざまな想念には、論理的な真実、可能な真実しか存在せず、そうした真実は恣意的に選ばれるにすぎない。われわれが記した文字ではなく、象徴的な文字からなる書物こそ、われわれのただひとつの書物である。われわれのつくりだす想念が論理的に正しいことなどありえないからではなく、その想念が真実であるかどうかはわれわれには判断できないからである。ひとえに印象だけが、たとえその素材がいかにみすぼらしく、その傷痕がいかに捉えにくいものであろうと、真実の指標となり、それゆえ精神によって把握される価値があるのは印象だけである。というのも印象から精神が真実をひき出すことができるなら、印象だけが精神を一段と大きな完成へと導き、精神に純粋な歓びを与えることができるからである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.455~458」岩波文庫 二〇一八年)

さらに別の箇所で、ともすれば「制度化」されたステレオタイプ的(常套句的・思い込み的)解決に陥りがちな思考に衝撃を与え、ステレオタイプ的(常套句的・思い込み的)還元を解体・断片化し、逆に思考が創造であるような思考を思考せざる得なくさせる<力>の重要性について実在した作家の実例を上げている。ゲルマント夫人が引用したヴィクトル・ユゴーの初期詩篇がそうだ。

「夫人が私に引用したヴィクトル・ユゴーの詩は、じつを言えばユゴーが進化の過程において新人作家の域を脱して、いっそう複雑な声を備えた未知の文学の種を現出せしめた時期からすると、はるか以前の作である。こうした初期詩篇では、ヴィクトル・ユゴーはいまだ考える人であり、自然と同じように、考える材料だけを提示するのに甘んじることができていない」(プルースト「失われた時を求めて7・第三篇・三・二・二・P.452」岩波文庫 二〇一四年)

本来的に怠惰にできている人間というものが何かを思考するに当たり、優等生丸出しのプラトンでさえ、最低限度とはいえパルマコン(医薬/毒薬)的かつ暴力的衝撃の必要性について述べている。三箇所引いておこう。

(1)「毒蛇に咬まれた者の苦境はすなわち私の現状でもある。実際、人のいうところによると、こういう経験を嘗めた者は、自ら咬まれたことのある者以外には誰にも、それがどんなだったかを話して聴かせることを好まぬものだという、それは、苦悩のあまりにどんな法外な事を為(し)たりいったりしても、こういう人達にかぎって、それを理解もしまた寛容もしてくれるだろうーーーと、こう人は考えるからである。ところが《僕》はそれよりもさらにいっそう烈しい苦痛を与える者に咬まれた、しかも咬まれて一番痛い個所をーーー心臓か魂を、または何とでも適当に呼べばいいのだがーーー愛智上(フィロソフィア)の談論に打たれまた咬まれたのだった。その談論というのは若年でかつ凡庸でない魂を捉えたが最後、毒蛇よりも凶暴に噛み付いて離さず、かつこれにどんな法外な事でも為(し)たりいったりさせるほどの力を持っているのである。さらにまた見渡すところ今僕の前には、ファイドロスだとか、アガトンだとか、エリュキシマコスだとか、パウサニヤスだとか、アリストデモスだとか、アリストファネスだとか(ソクラテスその人は別に挙げるにも及ぶまい)、またその他の諸君がおられるのだが、この諸君は実際みな愛智者の乱心(マニア)と狂熱(バクヘイヤ)に参している人達である」(プラトン「饗宴・P.140~141」岩波文庫 一九五二年)

(2)「ソクラテス、お会いする前から、かねがね聞いてはいましたーーーあなたという方は何がなんでも、みずから困難に行きづまっては、ほかの人々も行きづまらせずにはいない人だと。げんにそのとおり、どうやらあなたはいま、私に魔法をかけ、魔薬を用い、まさに呪文(じゅもん)でもかけるようにして、あげくのはてに、行きづまりで途方にくれさせてしまったようです。もし冗談めいたことをしも言わせていただけるなら、あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたがいま私に対してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです。なにしろ私は、心も口も文字どおりしびれてしまって、何をあなたに答えてよいのやら、さっぱりわからないのですから」(プラトン「メノン・13・P.42~43」岩波文庫 一九九四年)

(3)「毒を飲めば僕はもはや君たちのもとには留まらずに、浄福な者たちのうちへと立ち去る。ーーー君たちは、僕が死ねば、僕は誓ってここに留まらずに、立ち去って行くだろう、と保証してくれたまえ。そうすれば、クリトンはより容易に耐えるだろうし、僕の体が焼かれたり土の中に埋められたりするのを見て、僕が恐ろしい目にあっているのだと思って、僕のために嘆いたりはしないだろう。また、葬式のときに、ソクラテスを安置するとか、ソクラテスの葬列に従うとか、ソクラテスを埋葬するとか、言うことはないだろう。いいかね、善きクリトンよ、言葉を正しく使わないということはそれ自体として誤謬であるばかりではなくて、魂になにか害悪を及ぼすのだ。さあ、元気を出すのだ。そして、僕の体を埋葬するのだ、と言いたまえ。そして、君の好きなように、君がもっとも世間の習わしに合うと考えるように、埋葬してくれたまえ」(プラトン「パイドン・5・終曲・P.170~171」岩波文庫 一九九八年)

この時点の<私>にとってゲルマント夫人は<美自身>である。<美自身>としてのゲルマント夫人というのは、これまでの「さまざまな出会いに、さらに新たな出会いをつけ加えるものであったからだ。いや、それ以上のもとと言うべきか」と価値を増大させる。こんなふうに。

「というのもこの写真は、私がすでに経験していたゲルマント夫人とのさまざまな出会いに、さらに新たな出会いをつけ加えるものであったからだ。いや、それ以上のもとと言うべきか、まるでふたりの関係に突然の進展が生じて、夫人が庭用の帽子をかぶって私のそばに立ち止まり、はじめて頬の膨らみとか、うなじの曲がり具合とか、眉の端とか(それまでは夫人があっという間に通りすぎたり私の印象が混乱していたり記憶があやふやだったりして私には覆い隠されていたもの)を心ゆくまで眺めさせてくれたのに等しいからである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.170~171」岩波文庫 二〇一三年)

二十歳前後の青年にとって同年代の友人の若い叔母や姉妹で、なおかつ<美しい人>となると大抵は性的興奮を覚えないわけにはいかない。プルーストは書き込む。「官能的な発見であり、特別の厚遇だった」。年齢でいえばそれでごく「普通・正常」とされるが、作品「失われた時を求めて」ではこの辺りからもはや実際の年齢は不透明になる。中年を過ぎてからの記憶の想起というのは誰もが<諸断片>のモザイクなのであって、精密な日記を付けていたとしてもなお日記に書き記される言葉はあくまで<私>の側=こちら側の記憶の羅列でしかないとしか言えないからだ。いとも単純に現在の話と過去の記憶との混合が共振し合いつつ<未来へ向けて>創造される。なお「ローブ・モンタント」は昼間の正装。夜会服は「ローブ・デコルテ」。

「そんな部分をうち眺めるのは私にとって(ローブ・モンタントに包まれたところしか見たことがなかった女性のあらわな胸や腕を眺めるのと同じほど)、官能的な発見であり、特別の厚遇だった。見つめるのが禁じられているも同然に思われたこのような身体の線を、まるでそれが私にとって価値ある唯一の幾何学であるかのように、その写真でじっくり研究できるのである」(プルースト「失われた時を求めて5・第三篇・一・一・P.171」岩波文庫 二〇一三年)

ちなみにドゥルーズのプルースト論では<私>=「色情狂」とされている。生贄(いけにえ)はアルベルチーヌだがそれはもっと後半においてであり、さらにドゥルーズとガタリとの共著「アンチ・オイディプス」や「千のプラトー」で語られるプルースト論とは多少なりとも違っている。しかしドゥルーズのプルースト論はあくまで参考文献にとどまる。でないと一市民としての読者は消失するしかない。

第三篇「ゲルマントのほう」ではそれよりも先に上流社交界の記号論とでもいうべきエピソードがふんだんに語られる。良い悪いの価値観は問題外に置き去られる。<私>の実体験においても空想においても、いずれにしても舞台は上流社交界。そこで繰り広げられる大貴族と大資本家階級との悲喜劇的対立を通し、多種多様な<身振り・振る舞い>が「善悪の彼岸」において徐々にその虚構性とちぐはぐさ、奇妙な濫用や横断性などについて<覗き><覗かれ><暴露>されていく。第二篇「花咲く乙女たちのかげに」の「かげに」というフレーズがすでに「思春期の女性たち」を<覗く>という内容を意味していたように。

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