ここ「十五年」というフレーズをしばしば目にするようになったのが去年のこと。大きな変化に晒された。何が。世界が。単純に語るわけにはいかないし語れるはずもない変化はさらなる変化を加速的に呼び寄せつつある。あちらにもこちらにも。
とともにこの種のグローバルな変化に耐えがたさを覚える大衆とその指導者層の中から大きく浮上してきた動きがある。日々目にする光景。差し当たり「反知性主義」と呼ばれている。地位も名もある知識人の中からでさえ平然と湧き出てきた数しれぬ「反知性主義」信奉者。かつては高慢ちきな知識人主導のイデオロギーが問題だったが今では反知性主義イデオロギーが問題になっているばかりか反知性主義イデオロギーの流行に便乗し政治利用して止みそうにない人々の胎動が問題をさらに混乱させているかに見える。「反知性主義」信奉者の言動の奇妙さは一見した明らかだと言われている。例えば「反知性」にもかかわらず身内の人間ばかり有名大学へ、超有名大学へ、誰もが知る多国籍企業へ送り込みたがる。何かといえば絶大な政治的影響力を持つ縁組へ、仲間内だけで物事を押し進めようとしてはばからない。
しかしここ「十五年」というフレーズに含まれているグローバルな急進的変化について、誰もが「初心者」だという点はさんざん議論されているにしても議論の内容は空っぽに見える。できるだけ無駄な時間を作り無駄な時間ばかり消費せよと厳命されているような違和感を拭いきれない。あるいは空疎に思えて仕方がない。エリック・ホッファーはいう。「新しい状況にみずから適応しなければならないとき、われわれは不適合者(ミスフィット)なのだ」。
「変化の経験をじっくりと考察してみよう。第二次大戦後、アジア、アフリカの途上国は情熱と耳を聾(ろう)する喧騒にみちた雰囲気の中でみずからを近代化しはじめた。素朴なアメリカ人らしく、私は近代化ーーー工場、道路、ダム、学校などを建設するーーーというまじめな、実際的な仕事がなぜ熱狂的な騒ぎをひき起こさねばならないのだろう、と自問した。自著『変化という試練』で私はこの問いに対する答えを見いだそうと試みた。私の中心的な考えは、ドラスティックな変化とは根本的にくつがえってしまう体験であるということ、新しく先例のない事柄に直面したとき、われわれの過去の経験や業績は助けになるよりむしろ障害になるということ、であった。モンテーニュが死について『わたしはそれに関するかぎりみな初心者である』と語ったことは、まったく新しい経験についても真実なのである。新しい状況にみずから適応しなければならないとき、われわれは不適合者(ミスフィット)なのだ。そして不適合者は情熱的な雰囲気の中で生き、呼吸するのである。われわれは革命が変化の原因である、と考えていた。実際はその逆で、変化が革命の地盤を準備するのだ。変化の経験に内在する困難や焦燥が人々をして革命のアピールを受容せしむるのである。変化が先なのだ。事態が全然変化しないところでは、革命の可能性は最も少ない」(ホッファー「未成年の時代」『現代という時代の気質・P.19〜20』ちくま学芸文庫 二〇一五年)
急進的左派に急進的右派が対応していた時代はすでに終わっている。そこで二元的対立構造は罠だということを常々述べてきた。いずれの陣営も昨今の急進的変化の渦中で対応しきれていない。ショック症状を起こしたまま自らが自らの手で病いをますます悪化させていくばかり。にもかかわらず世界中が訳知り顔で一人前に振る舞えているに違いないと思い込んでいる。一つ一つの事柄についてきわめて注意深く慎重な人々もなるほど少なくないとはいえ。
言い換えれば、ここ十五年のあいだで最も急進的だったのは世界の変化であってグローバル規模での「反知性主義」の台頭を巻き起こしてしまった政治経済的などんな立場あるいは陣営でもない。立場や陣営というものは逆に、変化の「後になって」起こってきたショック症状に伴う目まいから醒め切っているとはとてもではないけれども言えないだろうとおもう。