「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その1)」のつづきは、「沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その5)」で書いた「今回の沖縄旅行のプランを練ったとき、まず行きたいスポット
」の一つ、「平和の礎」のある平和祈念公園のお話です。
私でも、太平洋戦争末期に沖縄で戦闘が行われて、民間人を含む大勢の人たちが亡くなった
ことは知っていました。そして、沖縄本島最後の戦場が「摩文仁の丘」だったことも知っていました。
ところが、今回の旅行のプランを練り始めるまで、「摩文仁の丘」が沖縄本島のどこにあるのかさえ知らなかった…
さらにいえば、米軍がどこから(上陸して)日本軍を攻略し、攻め込まれた日本軍や民間の人たちがどのように移動して、「摩文仁の丘」が最後の戦場になったのかも知りませんでした。
ただ漠然と、「日本国内で地上戦が行われたのは沖縄だけ」という生半可な知識があっただけ
そんな「無知の知」だけがよりどころ(?)の平和祈念公園訪問でした。
「摩文仁の丘」があるのは沖縄本島のほぼ最南端、糸満市。
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米軍は、1945年4月1日、沖縄本島中西部の読谷~嘉手納~北谷の海岸から上陸し、日本陸軍(第32軍)司令部が置かれていた首里まで1か月半をかけて南下して激戦を繰り広げた結果、陸軍司令部は5月28日に南部への撤退命令を出して、同月30日に摩文仁に陣を敷いたのだとか。
そして、6月23日(あるいは22日)、第32軍の牛島司令官の自決をもって、「沖縄守備隊の組織的な戦闘」は終了したのだそうな。
改めて、沖縄戦のことをほとんど知らなかったことを痛感します。
とりわけ、私が2泊したホテルの周辺がまさに戦場のまっただ中だったなんて…
平和祈念公園には私の目的地の一つ「平和の礎」のほか、沖縄県平和祈念資料館(こちらの話は後日)、沖縄平和記念堂、国立沖縄戦没者墓苑、そして32府県の慰霊塔があります。
「なんで32府県? 15都道府県はどうした?」と思うのが普通でしょうが、沖縄は別格として、京都府のは宜野湾市、山梨・高知両県のは八重瀬町、北海道・東京都と山形・奈良・和歌山・鳥取・島根・広島・香川・大分・宮崎各県のは糸満市内の別の場所にあるようです。
秋田県人の私としては秋田県の慰霊碑にお参りしないことには心の整理がつきません
ということで、秋田県の慰霊碑「千秋の塔」です。
碑の名前といい、香炉にあしらわれたフキのデザインといい、秋田っぽかったです。
なんだか書くのが大変です。
考えるとどんどん深くなってしまうし、おちゃらけるのは場にそぐわないし…
そんなわけで、「千秋の塔」の隣りにある新潟県の慰霊塔の香炉の写真を載せてこの記事を終わりにします。
新潟県長岡市で出土したと伝えられる火焔土器がモチーフでした
つづき:2012/06/10 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その3)