「首里城リターンズ(その2)」のつづきです。
円覚寺跡を観た後、道路を横断して龍潭とつながる円鑑地のたもとへ。
橋(天女橋)を渡った先にあるのは弁財天堂で、首里城公園のHPによりますと、
「円鑑池」は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まる仕組みになっている。また、ここからあふれた水が隣の池「龍潭(りゅうたん)」へ流れている。沖縄戦で破壊されたが、1968年(昭和43)に修復された。池の水深は3メートルほどである。
「弁財天堂」は航海安全を司る水の女神・弁財天を祀(まつ)っている。建物は当初1502年に朝鮮から贈られた方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)を納めるために建立されたが、1609年の薩摩侵入で破壊された。 1629年に修復、このとき円覚寺にあった弁財天像を安置したが、その後荒廃したため1685年に薩摩から新像を移した。しかし、これも沖縄戦で破壊され、その後1968年(昭和43)に復元された。
という波乱の歴史を持っています。薩摩に壊され、沖縄戦で壊され
と、琉球・沖縄の歴史の縮図のようです…
この円鑑地の周りに、なんとも奇妙な姿形をした鳥たちがたむろしていました。
鴨のようであり、鴨とは色合いが全然違うし。。。
調べると、バリケンという鳥のようです。
こちらのサイトによると、秋田以南の日本全国で目撃されている(福岡と沖縄での目撃情報が飛び抜けています
)というのは驚き
私は初めて見ました。
和歌山県立自然博物館のバリケン特集ページに、
バリケンには「へんな鳥って呼ぶな」って怒られそうですが、「へんな鳥が家の近くにうずくまっているんです」という問い合わせには、まず「アヒルより少し大きくて、顔が赤くて、羽が白や黒ですか?」って聞きます。たいてい、「あっそうです。どうしてわかるんですか?」という展開になります。
とありますが、私も、やはりへんな鳥だとおもいますよ…
円覚寺も弁財天堂も、そして首里城も、沖縄戦で完全に破壊されたわけですが、この地が米軍の攻撃
に曝されたのには理由がありました。
沖縄・奄美をテリトリーとする大日本帝国陸軍第32軍の司令部が首里城の地下に本拠を置いていたのです。
地下壕の平面図と断面図がこちら
第1坑口が樹木の間にひっそりと佇んでいました。
残念ながら壕の中に立ち入ることはできませんので、鉄格子の間からカメラを差し入れて撮影
なんで発泡スチロールのどんぶりがあるのでしょうか…
鉄格子の隙間から放り込んでも、あんなに遠くまでは届かないはず…
それはともかく、鉄格子の周りの壁に張り付いた根が凄い
南国ですなぁ…
第32軍の遺構としては、こんなのも。
「旧第32軍合同無線通信所跡」と書かれた杭が立っています。
これが出入口の跡なのか(開口部の大きさはにじり口を横に広げたくらい)、明かり取りの窓なのかはよく判りません。
それはさておき、第32軍は1945年5月28日に首里を撤退し、住民と共に南部へ転戦し、沖縄本島最南端の摩文仁で6月23日に「組織的戦闘」が終了しました(摩文仁の平和祈念公園の訪問記はこちら)。
さて、「旧第32軍合同無線通信所跡」からスロープを登ると、
正殿など、有料エリアに入るには、入口の歓会門を目指して右に進まなければなりませんが、今回は、亀甲形の石畳を踏みながら、城壁に沿って左に進みました。
この先の話はまたこんど
【追記】この記事で「第一坑口」と書いた場所は、那覇市のサイトによりますと、坑口ではなくトーチカだそうです。どこへもつながっていなさそうな雰囲気からも納得…。
また、先日、TVでこの司令部壕の保存・公開の話を取り上げていて、坑口は首里城を挟んだ反対側(南側)のものしか残っていないと言っていましたので、これで納得…。
でも、現地でも説明が欲しいなぁ… (2013/10/02 16:44)