「2週連続遠征、まずは関西遠征記(その12)」のつづきです。
前回の相国寺・承天閣美術館の探訪記「3月8日は『茶の湯』つながりで」で、
そんな私でも、もともと鹿苑寺金閣(銀閣と共に、相国寺の「支店」的存在らしい)にあった茶室で、消失後に現地に再建される一方、承天閣美術館内に再現された「夕佳亭(せっかてい)」の展示は、まさにカルチャーショックでした。
と書いた「夕佳亭」の再現展示は、今回も承天閣美術館で拝見することができました。
しげしげと拝見するうちに、この「夕佳亭」って、金閣寺で観たあの茶室か? と思い至りました
遡って探してみると、ありました
2011年5月の記事「いったいいつの話だ?の京都旅行記(その8)」で、こんな風に書いています。
ところで、夕佳亭の前に賽銭箱が置かれていて、しかも、かなり傾いていました。
なぜ茶室の前に賽銭箱が、しかも、こんな妙な風に置かれているのでしょうか?
このちょいと間抜けな眺めよりも、こちら
の夕佳亭の風情の方が素敵かもしれません。
高校の修学旅行以来、超久しぶりに金閣寺を訪れて舞い上がっていた
せいか、このとき、2年前に承天閣美術館で再現展示を観た夕佳亭と、目の前の夕佳亭が、現物とコピーの関係だとは、まったく気づきませんでした。
ぬかりましたなぁ・・・
さて、「伊藤若冲と琳派の世界」展を開催中の承天閣美術館では、まず、俵屋宗達「蔦の細道図屏風」との再会にときめきました
再会といっても、ほんの2ヶ月前に「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」展@根津美術館で拝見したばかりなんですが・・・(訪問記
はこちら)
ほんの2か月の時をおいて、東京と京都とで「蔦の細道図屏風」を拝見できるという幸せ・・・
ところで、「琳派」のメインストリームは、江戸初期の俵屋宗達から始まって、江戸前期の尾形光琳、江戸後期の酒井抱一と鈴木其一、そして明治~昭和初期の神坂雪佳と続いていると私は理解しているのですが、極めて興味深いのは、実際に師弟の関係にあったのは酒井抱一と鈴木其一だけで、基本的に、残された作品によって絵を学ぶことで、実質的に「琳派」が継承されていったことです。
宗達の「風神雷神図」を光琳が模写し、光琳の「風神雷神図」を抱一が模写したのは有名な話ですが、この「伊藤若冲と琳派の世界」展では、光琳、抱一、其一が描いた「朱衣達磨図」(+富岡鉄斎筆も)がズラリと並んでいました。
それぞれの絵師の、「心の師」に対するリスペクトと、自分の世界を切り開こうとする心意気
が伝わってくるようで、これぞ「琳派の世界
」と思った次第です。
「伊藤若冲と琳派の世界」展はシルバーウィークと同時に終了します。
興味を持たれた方はお急ぎくださいませ
つづき:2015/10/01 2週連続遠征、まずは関西遠征記(その14)