今から12年前の1月、私は、「THE TOUR OF MISIA 2007 ASCENSION」神戸公演に出撃しました。
このときのルートは、往復とも飛行機で、羽田⇒伊丹、神戸⇒羽田。
そして、私の遠征に「つきもの」の博物館・美術館めぐりは、伊丹空港からの交通アクセスが極めて良い
池田市にあるインスタントラーメン発明記念館(現:カップヌードルミュージアム 大阪 池田)
と、海遊館
の2か所
でした。
このうち、今や「旬」の施設となっているカップヌードルミュージアムのことはこちらで書き(記事中には「2006年11月」とありますが、正しくは2007年1月20日です)、
海遊館のことはこちらでチラリと書きました。
カップヌードルミュージアムを訪れた時、その正式名称「安藤百福発明記念館」にその名を残す、というか、NHKの朝ドラ「まんぷく」の立花萬平さんのモデルとなっている安藤百福さんが亡くなってから2週間しか経っていないタイミングで、入口には半旗が掲げられていましたっけ…
で、本題はこれらではありませんで、このとき、すぐ近くまで行きながら、
帰りの飛行機の時間が迫っていたため
、観覧を断念
した施設がありました。
それは、「阪神・淡路大震災から得た貴重な教訓を世界共有の財産として後世に継承し、国内外の地震災害による被害軽減に貢献すること、および生命の尊さ共生の大切さを世界に発信することを目的に設立された」(Wikipediaより) という「人と防災未来センター」でした。
きょう「1月17日」は、こちらにも書きましたが、阪神・淡路大震災が発生した日です。
あの日から24年が経ちました。
「人と防災未来センター」には、ようやく5年前の2014年1月に行くことができました。
そして、展示を拝見してとてつもなく辛く思ったのは、誰も予想していなかった大地震が起こったのが、この時期の5:46という早朝だったということ。
毎朝、5:30起きの私は実感しますが、こんな真っ暗な状態で、そして、多くの人が爆睡中に最大で震度7の超巨大地震に襲われたという事実…。
目が覚めたと思ったら家が崩れ、家具が倒れてきてその下敷きになる…。
どれだけ怖かったんだろうか、救助を待つ時間のなんと長く感じられたことか…。
そして考えたのは、ある程度の時間は、自分だけの力で生き抜く術を用意しておくことが必要だということでした。
阪神・淡路大震災(1995年1月)にしても、東日本大震災(2011年3月)にしても、あれほど広域で大災害が発生した場合にも即時対応できる公的な救助体制を整えることは、土台無理な話だと思います。
自宅の構造と家財の耐震性を高める
こと、非常食
を確保しておくこと、そして、非常時を想定しておくことが、普通の市民にとって最低限の心得なのじゃなかろうかと思います。