新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

MISIA★Xに参戦すべく仙台日帰り遠征 (後編)

2019-01-20 21:23:54 | MISIA/旅行記

「MISIA★Xに参戦すべく仙台日帰り遠征 (前編)」のつづきです。

「旧荒浜小学校」のバス停に駐車しているバス腕時計を交互に眺めながら、私は、砂混じりの道を半ば小走りで急ぎました。

とても流しのタクシーなんて走っていないし、次のバスまで1時間待つなんてたまったものじゃないし、荒井駅まで歩くとなれば次のバスを待つのと同じくらい時間がかかりそうだし…。
で、結局、無事にバスに乗れまして荒井駅から地下鉄仙台市街地に戻ることができました。

戻りは、仙台駅を通り過ぎて、広瀬川を渡って国際センター駅で下車。

国際センター駅の前には、仙台の誇る2人オリンピックゴールドメダリスト荒川静香さんと羽生結弦さんのパネルが立っていました。

これというのも、国際センター駅は、こちらで書いたように、「日本フィギュアスケート発祥の地 五色沼」最寄り駅なんです。
何度行っても、このっつうか(仙台城お濠でもあります)凍って、その上でスケートができたなんて信じられない五色沼なんですが、、、、

が張ってる
もっとも、縁の方はユルユルの凍り方で、とてもスケートはできそうにもありませんでしたけど…。
そうそう、池の畔には「無限への軌跡」(翁 ひろみ・作)と題するモニュメントもあります。

   

なぜ私が仙台城三の丸跡までやってきたかといいますと、時間調整かたがた仙台市博物館を観ようという算段でした。
仙台に行くたび、私は、企画展をやっていようがいまいが、仙台市博物館を訪問している気がする…
今、仙台市博物館では企画展を開催していませんが、展示室に向かう階段前には「仙台の伝統的な門松」が飾られていてお正月気分です

徳川家康から政宗に送られた書状(天正19年・1591年)を見て、

おぉ、家康の花押だぁ~ とときめいたり、政宗の墓所・瑞鳳殿(5年前の訪問記)から発掘されたというヨーロッパで作られたとみられるブローチを観て、

さすがは伊達者 と楽しませていただきました。

   

約45分間の観覧を終えた私は、仙台市博物館から「MISIA星空のライヴX」の会場・仙台サンプラザホールまでの約3.5km徒歩で移動しました。
仙台市博物館で観た江戸時代の町割図に私の徒歩ルートをプロットすると、ほぼこんな具合 かと思われます。

ちゃんと朝・昼2食を摂ったというのに、まだ16:00をちょい過ぎた時刻だというのに小腹が空いてしまい、仙台サンプラザホールまで数mの地点で、ハンバーガー間食をいただきました

   

喫煙所一服したあと、仙台サンプラザホール入場して、ミー友さんたちご挨拶して、自席につくと、またまた周りには知ったお顔多いこと…

Lady Black Dress : Ryoちゃんのオープニングアクトを経て、ほぼ定刻「MISIA星空のライヴX」が始まりました

先週名古屋公演2日目、最後の曲でMISIAの声が枯れてたという情報があって、ちょっとは心配していましたが、予想どおり、MISIA完全復活 っつうか「ほぼ絶好調安定度も、声量も、声の響きも最高で、最幸歌声でした。

途中、某曲冒頭のスキャット声が出なくて、あれっ でしたが、それもホンの微少なアクシデント。本編部分は何の問題もなく、そして、次の某曲素晴らしかったことといったらなかった…
あの一曲を聴けただけでも仙台に遠征して良かった と思えるほどでした

もちろん、仙台ですから、会場の盛り上がりGoodを遙かに通り越してExcellent

こんな具合ですから、MISIAのなんと楽しそうなこと… そして、ノリノリ

ところが、MISIA以上ノリノリの方がいらっしゃいました。

それは、Sax & Flute明男ちゃん 

メンバー紹介のときの仕切りが、バッチリ決まって(見事にキメた聴衆素晴らしい) もう大喜び で、とある方のモノマネまで披露してノリノリの極み でした。
いやぁ~、いいなぁ~、明男ちゃん

ということで、昨年11月の盛岡公演(記事はこちら)までには届かなかったかもしれないけれど仙台公演もまた素晴らしいライヴでしたぁ~
はぁ~、幸せぇ~

そうだ、そうだ、仙台公演セットリストから、これまで皆勤(?)だった某曲が消えていました。

   

ライヴ終了後、帰りの新幹線まで1時間ちょっととあった私は、仙台駅の駅ビル(昔、私、“S-PAL”"S"「仙台」を意味しているものと思い込んでいましたが、駅=Stationのことみたいですな)で牛たん枝豆生ビールを1杯いただいた後(枝豆は近年稀な旨さでしたが、牛たんイマイチ)、新幹線に乗り込みました。

お供は、新幹線改札内で買ったずんだジェラート

もうちょい甘い方が良かったかな…

で、新幹線仙台を出発してしばらくしてから、MISIA「Life is going on and on」を聴き始めたんですが、はやぶさだと仙台から大宮までの所要時間ほぼ1時間、で、きわどく大宮到着直前に聴き終えることができました。
速いよねぇ、はやぶさ・こまち

ホームから下る階段で、思いがけずミー友さんとお会いし、またねぇ~ とご挨拶した後、私は埼京線に乗り換えて(快速に乗れた)、帰宅しました。

いやぁ~、ホントに濃い一日でした。

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MISIA★Xに参戦すべく仙台日帰り遠征 (前編)

2019-01-20 13:26:55 | MISIA/旅行記

きのう、「MISIA星空のライヴX Life is going on and on」に参戦するため、仙台までの日帰り遠征を決行しました。

ホントは、今夜の山形・南陽市ライヴへもハシゴしたかったのだけれど、帰りのことを考えて断念しました。明日はどうしても仕事を休めないし…。

ということで、まずはいつものように旅程から。

自宅⇒徒歩最寄り駅埼京線大宮駅東北新幹線(やまびこ)仙台駅⇒徒歩地下鉄仙台駅地下鉄東西線荒井駅路線バス旧荒浜小学校路線バス荒井駅地下鉄東西線国際センター駅⇒徒歩仙台市博物館⇒徒歩仙台サンプラザホール(MISIA★X)⇒徒歩仙台駅東北新幹線(はやぶさ)大宮駅埼京線最寄り駅⇒徒歩自宅

きのうは天候に恵まれ、最寄り駅のホームからは富士山が見えるは、

途中の車窓からは、広重が描いたそのままのような筑波山が見えるはで、

快適(3列座席を独り占めだったし…移動して、11:00仙台に到着しました。

昼食には早い時間ながら、仙台駅ナカ牛たん通りのお店は、どこも行列
まぁ、この事態は想定内でして、ペデストリアンデッキを渡り、駅チカの牛たん店に向かいました。

こちらの店では待ち時間無しで座席につくことができ、そして、旨ぁ~い牛たん定食をいただきました。
ネギたっぷりのテールスープも、中に入っているテールも、付け合わせの白菜の漬け物も、唐辛子味噌も、そして、食感最高牛たんも、やはり仙台の牛たん定食最強です

   

満足のうちにお店を出て時計を見ると、おや、震災遺構 仙台市立荒浜小学校に向かう時間を予定から1時間早められるじゃないの
荒浜小学校へのルートの最後の路線バス1時間に1本しか走っていないので、これは急いで地下鉄に乗らねば と地下鉄仙台駅
ところが、地下鉄東西線改札口が判りづらい
2年前(記事はこちら)と同様、遠回りを重ねてなんとか改札口にたどり着き、電車に乗れました

地下鉄東西線の終着駅、荒井駅に降り立つと、

強くて、そして、寒い
それでも、待ち時間ほとんとなしで市バスに乗り込み、海岸近くの旧荒浜小学校へ

私、学生時代の4年間を仙台で過ごしたのですが、若林区など仙台市街地の南西方向には出かけたことがありませんでした。そして初めて若林区の印象は、真っ平らぁ~
あれほど真っ平ら広大な場所って、日本ではそうそうないのではなかろうか?

そういえば、前夜、予習として観た「ブラタモリ #12 仙台」で、なぜ伊達政宗は海寄りの広大な平地ではなく、内陸部の河岸段丘城下町を築いたのかをやっていました。
その理由は、仙台東側の海寄りの平地は、何度となく水害に襲われたから、というものでしたっけ…

   

で、1時間に1本市バスは、私一人を乗せた状態で終点の「旧荒浜小学校」に到着。

バス停では、折り返しのバスに乗ろうとしていたミー友さんが、これまた一人で待っていましたとさ…。
こんな需要じゃ、本数は増やせないですよね…

さて、この「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」は、

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校
被災した校舎のありのままの姿被災直後の写真展示等により、来館者に津波の威力や脅威を実感していただき、防災・減災の意識を高める場とすることを目的に、本校舎を震災遺構として公開しました。

というもので、学校自体は、

東日本大震災の影響で校舎が使用できなくなり、学区内のほとんどが災害危険区域に指定され、児童数の減少が続いていることから、2016年3月をもって閉校 (Wikipedia)

となっています。

津波は、校舎の1階部分完全に水没させて、2階も床上が浸るほどの高さまで達したそうです。

2階海側のベランダや出入口はガレキで破壊され、

そして、2階備品や壁には、浸水跡が生々しく残っていました。

震災当日、荒浜小学校の児童数は91名。
児童だけでなく、近隣の住民小学校に避難して救助を待ったのだそうです。
映像展示「3.11 荒浜小学校の27時間」では、14:46の地震発生から避難者全員が救出されるまでの27時間について、関係者のインタビューや救難ヘリが撮影した画像などが紹介されていまして、その中に注目すべき証言がありました。
それは、従来、体育館を避難場所や備蓄品の保管場所にしていたけれど、2010年のチリ地震の時に大津波警報が発令されたことを機会に、避難場所や備蓄品の保管場所を校舎の高い階に変更したということ。
荒浜小学校の体育館は、当然ながら東日本大震災の津波で水没したわけで、この先見の明たるや素晴らしいことだと感服しました。
チリ地震の大津波警報は結局「空砲」に終わってしまったのですが、それでも、「もし本当に警報どおりの津波に襲われたら大変なことになる」と、避難計画を変更したというのですから…。翻って、東京電力ときたら…

さて、震災前の荒浜地区の復元ジオラマが展示されていました。

写真は、荒浜小学校側から南方向を見たもので、左が海です。
生徒数が100名に満たない学区ですから、小さな集落ですが、それでも、住宅が南側だけでなく、貞山堀のさらに海側にも広がっていたことが判ります。
それが、現在は、、、と窓から南を眺めると、、、

墓地を除いて、何もない…

ことばを失ったまま、児童や住民が救助を待ったという屋上へ…。

屋上からを眺めると、

ホント、悲しいくらい穏やかで、そして、美しい…。

きのうの屋上は冷たく強い風が吹き抜けてかなり寒かったのですが、震災当日雪交じりもっとずっと寒かったはず…。

帰りのバスまで20分ほどありましたので、貞山堀の先にある海岸まで歩いてみました。

震災前までは民家も建っていたはずですが、

今は家の土台だったものらしいものがチラホラあるだけで、生活感皆無

それもそのはず、荒浜小学校以東災害危険区域に指定されていて、

住んでいる人どころか、防災工事の人たち以外、人はいません

大災害をもたらした…。

感慨に耽るうち、ふと時計を見ると、ありゃ、バスの時刻迫っている

このバスを逃すと1時間待つか、荒井駅まで歩くしかない

ということで、駆け足を交えながら旧荒浜小学校を目指したのでした。

つづきはまた後日。

つづき:2019/01/20 MISIA★Xに参戦すべく仙台日帰り遠征 (後編)

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