「台風19号から避難した3連休 (前編)」のつづきです。
私が実家でやり過ごした感のある台風19号、1週間経って、その威力
と被害の大きさ
に愕然
としてしまいます。
きょう夕方時点で、死者が84人、行方不明が9人ですと…
東海~関東~東北にこれだけ甚大な被害をもたらした台風
を、何気なくやり過ごしてしまった私は、我が身の幸運
と、少なからぬ忸怩たるもの
を感じています
さて、台風19号が三陸沖に抜けた10月13日、朝こそ風雨
が強かったのですが、台風一過で天候はみるみるうちに回復
して行きました。
「前編」で書いたとおり、台風19号が来なければ、関西に出かけて、京都国立博物館で「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を楽しんでいたはずの私、ここでちょっと逆襲
してやろう と思い立ちました。
「佐竹本三十六歌仙絵」を観られないなら、その名前の由来となった佐竹氏のゆかりの場所を訪ねてみよう というわけです。
そして、やって来ました、江戸時代を通じて佐竹氏の居城だった久保田城趾(千秋公園)
写真は、二の丸に通じる松下門跡。
幼少のみぎり、祖母や叔母、いとこたちと千秋公園にお花見に来たとき、この坂の両側にビッシリ
と露天商が軒を連ねていたっけなぁ~と、物思いに耽ったりして…
で、二の丸の入口にあるのが、秋田市立佐竹史料館です。
10月からの消費税率引き上げに伴って、佐竹史料館の入館料
も変更されたそうですが、変わったのは年間フリーパス
だけ(200円⇒210円)で、一般観覧料:100円は変更なし。
よしよし… です。
で、佐竹史料館は、指定のあるものを除いて撮影可なんですが、私が撮ったのは、「旌旗(せいき)」という巨大な旗(軍旗)だけでした。
説明板によれば、
佐竹氏の代表的な本陣の旗である。
五本骨扇紋の金箔は現在でも色あせず、古文書「御甲冑」に「三幅紺地金扇紋九ツ付乳金革但右二流の扇紋は慶長金製ナル由」と記述され、金の純度が高いことを示している。
旗に竿を通す乳(ち)は革製に金箔とし、白糸で陰陽道護身の秘術に使われる安倍晴明印「★」、(臨兵闘者皆陳(陣?)列在前)の九字を表した縦四線、横五線や「叶」「×」など呪印で縫いとめられている。
旗に関する種々の作法に則り作られたものである。
だそうで、しげしげと、その「乳(ち)」を見ると、おぉ、
「縦四線・横五線」と五芒星「✯」と「×」だ
そして、こちらは、
五芒星「✯」と「叶」だ
ひやぁ~、旗指物の竿を通すところが、こんな風につくられているなんて知らなかったぁ~
この日一番の「掘り出しモノ」は、この旌旗の乳(ち)ですな…
佐竹史料館はあっさりと観終わってしまったので、本丸まで登り、秋田市を一望
久保田城は「平山城」に括られるだけに、全然登った気はしないけれど、結構な高さがありますな。
と、そういえば、私のライフワークともいえる「艮(北東=鬼門)」がどうなっているか、久保田城で確認したことがなかったぁ~
私としたことが…
で、本丸の北東角にある帯曲輪門跡を降りてみると、
う~む、、、はっきりしない…
弥高神社横のこの凹みが久保田城の鬼門除けなのかなぁ。
なんだかモヤモヤする…
ということで、全然、「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展を観に行けなかったことへの逆襲にはならなかったのでございました。
「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展は、前期・後期とも観たいので、来週末、日帰り
で京都まで行くことにしました。
今度こそ、台風なんぞが来ませんように…