「今年最初の関西旅行記 #2-6」のつづきです。
淀屋橋もステキな橋ですが、難波橋も負けず劣らずステキな橋でした。
間隔を置いて何基も設置されている照明灯がイイし、みおつくしをあしらった高欄もオシャレだし、
フェスティバルホール近くの錦橋の北詰めに江戸時代につくられたと考えられている「浪華橋々繁栄見立相撲」と題する番付表がありました。
その名のとおり、当時の賑わいのランクづけですが、この難波橋はひとつ上流に架かっている天神橋につぐ「西の大関」、No.2 です。
ちなみに、この番付の「行司」は、今は無き「四ツ橋」です。
四ツ橋は既に埋め立てられた長堀川と西横堀川が交差する地点に口の字型に架けられた4本の橋(こういう形の歩道橋はあちこちにある)の総称ですから、別格扱いにしたということなのでしょう。
しゃれっ気がありますなぁ
そういえば、「心斎橋」も、長堀川の埋め立てで「橋」ではなくなっています。
「難波橋」を語る上で忘れてはならないものがあります。
それは、大阪市のHPによれば「『ライオン橋』の愛称でも親しまれている」とあるように、親柱の上に鎮座するライオンです。
Googleマップで確認したところ、土佐堀川・中之島・堂島川を越えた北側の親柱にもライオンが鎮座していて、どちらのライオンペア(牡と牡)も、橋に向かって左が阿形、右が吽形になっているという…。
東京国立博物館表慶館前のライオンも、阿吽のペアで、あ~日本だな と思います。
難波橋を渡ると北浜。
大阪取引所と五代友厚像が角地にど~んとあるのは、いかにも大阪随一の金融街の玄関口ですなぁ。
私がこの界隈に足を踏み入れるのはこれが初めてで、地下鉄に乗る前に、ちょっと見物しました。
よくよく見ると、ずいぶんと若々しいお顔立ちです
もっとも、五代友厚は49歳で亡くなっていますから…。
五代友厚の像は、この大阪取引所前を含めて、大阪商工会議所、大阪公立大学(旧大阪市立大学)など大阪だけで少なくとも5体あるのだそうで(ご参考)、大阪での五代友厚の位置づけが察せられます。
私は、大阪商工会議所に銅像があることは知っていましたが、大阪取引所にもあるとは知りませんでした。大阪商工会議所の銅像が1953年に設置されたのに対して、こちらは50年遅れの2004年に(取引所の建物の改装に併せて?)設置されたそうですから、けっこう最近のことなんですな
碑文にこうあります。
この地は 江戸期の金相場会所以来 金融取引の活発な地であり 今日まで大阪経済の発展を担ってきた
薩摩出身の五代友厚は 明治11年 当地で大阪株式取引所の設立に尽力 大阪の発展に多大なる功績を残す
ここに 大阪証券取引所発祥の地として 顕彰する
平成16年12(?)月 大阪市
寄贈 大阪証券取引所
あれま この銅像は大阪市のものなのか
大阪市ったら、こんな場所のこんなものまで寄贈されて…
設置場所が市有地だったら理解できるのだがな。
せっかくだからと、大阪取引所の1階ロビーに入って、ステンドグラスを見物しました。
大阪取引所を出た私は北浜駅に潜りました。
堺筋線のホームで、こんな広告を発見
大林組の旧本店「ルポンドシエルビル」ですと? いつか行ってみたい と、メモ代わりに写真を撮ったのですが、そもそもこの広告の出稿者(広告主)は誰?
調べたところ、「生きた建築ミュージアム 大阪セレクション」は大阪市の事業だそうで、また、「ルポンドシエルビル」は、大阪市中央公会堂の展示室(記事) にあった「大大阪時代を彩った近代建築」のリストに入っていました つまり、写真を撮るまでもなかったということです
北浜駅から恵美須町駅までは、4駅、所要時間はたった7分。
恵美須町駅の改札口の一つがなにやら怪しい
と思って調べたら当り でした。
大阪メトロのHPによると、「2024年度に全駅で顔認証によるチケットレス改札の導入を目指」しているのだとか
「2024年度」はあと2か月弱しかありませんが、ホントに導入できるのでしょうか?
「2025年大阪・関西万博に向けたキャッシュレス・チケットレス改札の取組みの一環」だそうですから、おしりを切られているわけで、大阪メトロと「協力会社」は、それこそ寝食を忘れるような状況で最後の追い込みをかけているでしょうねぇ
恵美須町駅から地上に出ると、すぐに通天閣が見えました。
そういえば、最近、通天閣近くで火事があったとニュースで見た記憶があります。
さっそくスマホでググると、ニュースはすぐに見つかりました。
火事はほんの4日前という生々しい現場
火元は、「レトロゲーセン ザリガニ」という店で、なにやらゲーセン好きの間では「聖地」扱いだったらしい
建物がびっしり立ち並ぶ商店街にもかかわらず、延焼が最小限に食い止められたようで、その点では良かったかもしれません
この焼けたゲーセンもそうだったのでしょうが、新世界の魅力の一つは「レトロ」にあると思っています。
例えば、こんな喫茶店、なかなかありませんゾ
今でこそ、国内外の老若男女で賑わう新世界ですが、私が友人に連れられて初めて新世界に来たとき(何十年前だ?)は、猥雑なオッチャンの街でした。
昼間っから大勢の客がディープな酒をかっくらっているような店が並び、碁会所だか将棋クラブでは、道路から窓越しに対局を観戦する人が何人もいたりして、「暇はあるけど金は無い」なのかな? などと思っていました。
そんな思い出のある将棋クラブが悲しいことになっていました
その名も、「いかにも新世界」な将棋クラブ「王将」は、
建物の外装はそのまま、串かつ屋に変身していたし、「囲碁・将棋クラブ 三桂」も、
昨年6月30日で閉店。
その名も「産経」の記事によると、「三桂」は新世界最後の将棋クラブだったらしい。
通天閣の下には坂田三吉の顕彰碑があるような街なのにねぇ
いまどきの観光地ではあたりまえではあるけれど、なんと外国人観光客の多いこと
そして、以前にも増して増えた感のある串かつ屋には、その多くの店の前に長蛇の列
さぁ、昼食はどうする?
というところで「#2-8」につづきます。
【追記】ふと気づいたのですが、獅子・狛犬の配置は、向かって左が吽形の狛犬、右が阿形の獅子(どちらも獅子の場合が多い)が基本のはず(参考記事)なのに、難波橋のライオンは逆です。どうしてなんだろな? (2025/02/11 13:59)
つづき:2025/02/09 今年最初の関西旅行記 #2-8