新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その4)

2012-06-17 20:16:27 | 旅行記

間延びしつつある沖縄旅行記、「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その3)」のつづきです。


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おなじみの「蛍の光」「ホタルノヒカリ」ではない)、もっぱら1番だけ歌われていますが、4番まであるのだそうで、沖縄県平和祈念資料館では、1881(明治14)年発行の「小学唱歌」と、1906(明治39)年発行の「教育唱歌集」にそれぞれ載せられた「蛍の光」の歌詞が比較展示されていました。


1881(明治14)年版が、


千島のおくも沖縄も、
やしまのうちのまもりなり。
いたらん國にいさをしく、
つとめよ、わが背、恙(つつが)なく。


そして、1906(明治39)年版は、


臺湾(たいわん)の果(はて)も樺太も、
やしまのうちのまもりなり。
いたらん國にいさをしく、
つとめよ、わが背、恙(つつが)なく。


資料館の説明によれば、


1881年発表の歌詞は、1979(明治12)年の琉球処分(沖縄県設置)と1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」の締結を反映している。1906年の方は、1895(明治28)年の下関条約で台湾が、1905(明治38)年のポーツマス条約で北緯50度以南の樺太が日本領になったことをうたっている。


のだそうです。
私、寡聞にして「蛍の光」に4番まで歌詞があることをこの時まで知りませんでした。っつうか、何番まであろうが関係ない、という感じ
ところが、改めて「蛍の光」の歌詞を読むと(Wikipediaの記事をご参照方)、てっきり「別れを惜しみつつ門出の決意を詠う」歌かと思っていたら、その実、かなり「教育的な歌」だったことが判ります。
勉強になりました。


   


さて、沖縄県平和祈念資料館の常設展示は、明治初年の「琉球処分」から1945(昭和20)年4月の米軍上陸までの「沖縄戦への道」、米軍上陸から日本陸軍沖縄守備隊が首里を撤退するまでの「鉄の暴風」、沖縄戦終結までの「地獄の戦場」、戦争体験者の「証言」、そして現在に至る「太平洋の要石」に分かれています。


琉球王国の時代(薩摩侵入後)から、明治維新後には「沖縄県」として日本に組み入れられ、太平洋戦争では民間人を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、終戦後は27年間にわたってアメリカ(軍)の統治下に置かれ、「本土復帰」後も広大な米軍基地が広がっている、こんな沖縄の歴史と現状を見るにつけ、キーボードを叩くスピードが落ちてしまいます。


いろいろと考え込んでしまったきっかけになったのは、「復帰運動」の展示を見たときでした。


沖縄の人たちにとって「復帰」したい先はどこだったのだろうか、明治維新以降、日本に組み入れられたことが沖縄の人たちにとって最良の道筋だったのだろうかと…。


もちろん、19世紀後半の東アジア激動の時代から帝国主義の時代にかけて、沖縄が「琉球王国」として独立を保っていられたとは到底考えられません。
「琉球王国」の体裁を取り繕うことができたとしても、日本か清か欧米諸国の後ろ盾が必要だったことは必至だったと思います。それは、李氏朝鮮~大韓帝国の歴史を見ても明らかでしょう。
また、沖縄の地理的(地政学的)な位置を考えても「完全中立」はあり得ない道筋だったと思います。


それでも、こんな私の考えや想像は、沖縄の人たちからすれば所詮「よそもんのたわごと」でしかないのだろうと思います。

そして、「復帰運動」にしても、日本の戻りたいという気持ち以上に、日本よりさらに「よそもん」のアメリカ(軍)の統治下から外れたいという気持ちが強かったのではないかと思うのです。


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沖縄旅行2日半の見聞を通じて、こんな思いを抱いた私は沖縄県平和祈念資料館を出て駐車場に戻り、次の目的地へと出発したのでありました。


と、、、平和祈念公園で撮った写真を紹介するタイミングを逸してしまった


そんなわけで、まずは立派な亀甲墓


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そして、式典広場


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今度の土曜日(6月23日)、この式典広場「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。


つづき:2012/06/18 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その5)

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いろんなものにガタが来ている

2012-06-16 12:06:00 | 日記・エッセイ・コラム

ここ1か月ちょっとの間、家の中のいろいろなものに、次から次へと不具合が発生しています。
こちらで書いたキッチンの蛍光灯安定器を交換)の他、浴室の混合栓(温度調整が効かなくなって交換)、FAX給紙失敗の連続)と、ガタが出てきました。


また、CD/DVDプレーヤーも、CD/DVDを入れるとすぐに排出してしまうことしばしばで、こちらも余命が怪しいところです。


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このCD/DVDプレーヤーは、使い始めて5年しか経っていないのにこんな状況ではメーカーに対する信頼が揺らいでしまいます もっとも、あきらめる前にレンズクリーナーを買ってきて、お手入れしてみることにしましょう。
このサイズ(幅約20cm)のCD/DVDプレーヤーはなかなかないし、さほど頻繁に使うモノでもありませんから…。


一方、かなり心配っつうか深刻なのが、PC外付けHDD


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私は、ドキュメントやデータのバックアップのほか、撮った写真やスキャンした画像のすべてをオリジナルの状態で外付けHDDに保存しています。
写真に限って言えば、トリミングしたり、露出や色温度を調整したものは、PC本体に保存してあるのですが、「撮ったまま」の写真は失敗作(と思ったもの)も含めてそのまま外付けHDDに保存してあります。


そんな大事な外付けHDD、最近調子が悪いのです。


画像を表示するだけでもかなり時間がかかるし(サムネイルの表示に数分かかったりもする)、試しに同じの別のパーティションにコピーすると、最初は良いものの、すぐに転送速度がKB/秒台にまで低下したりと、なんとも不健康で、近いうちにクラッシュしてしまうのではないかと心配しています。
使い始めて2年しか経っていないというのに、これはどうしたことでしょうか?


いろいろなサイトいろいろなメーカーの外付けHDDのいろいろな機種レビューを見ますと、どのメーカー、どの機種の区別なく早々に壊れるケースがあるようで、今使っている外付けHDDはハズレだったとあきらめるのがよさそうです。


そんなわけで、引っ越し用&二重バックアップ用に、外付けHDDからPCの内蔵HDDに写真データをコピー中です。

当然ながらそのスピードは遅く、いったいいつ終わることやら…


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これから10分経ってもこれですから…


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【追記】ふと、具合が悪いのは外付けHDDではなく、メインPCの方ではないかと思いました

そこで、外付けHDDモバイルPCにつなぎ替えて、一番転送がうまくいかない五浦(さわりの記事はこちら)で撮った写真を転送してみました。

すると、


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転送速度は9.65KB/秒と、ハンパなく遅い


やはり具合が悪いのは外付けHDDの方でした


外付けHDDのすべてのパーティション、すべてのフォルダ、すべてのファイルが、転送が遅かったり表示に時間がかかるわけではないのですが、結局、外付けHDDを買い換えることにしたのでありました。
(2012/06/17 08:48)

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「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京展が終了

2012-06-11 23:34:26 | 美術館・博物館・アート

東京国立博物館(東博)からメルマガが届きました。


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「ボストン美術館 日本美術の至宝」が昨日で終わったとのこと。


3か月弱の会期で、訪れた観客53万人以上
すごい数字ですなぁ~。


この「50万人以上」には、私が「2人」含まれています


5月13日に東博「ボストン美術館 日本美術の至宝」東京藝術大学大学美術館での「近代洋画の開拓者 高橋由一」展をハシゴしたことは同日の「噴水が復活!」でちらりと書きましたが、先々週の金曜日、午後半休をとって、「ボストン美術館 日本美術の至宝」再訪したんですよ。


1回目のときは日曜日ということで、例によって凄い人出で、これまた例によって「絵巻」なんて全然観られたものではなかったですから…
120611_1_01 そこで、平日、しかも開館時間が延長される金曜日ならゆったり観られるだろうと出かけた次第です。敢えて入場料を支払って…(パスポートが効力を発揮するのは国立博物館4館の特別展各1回のみ合計6展です)、しかも激しい雨の中


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ところが、考えが甘かった…。


平日・夕方の「ボストン美術館 日本美術の至宝」リタイアされた年齢の方々がわんさかと鑑賞されていました

ほとんど前回(日曜日)と変わらないほどの盛況ぶり


まぁ、これほどの質と量を誇る展覧会なのですから、仕方ないと言えば仕方ない…。


「ボストン美術館 日本美術の至宝」展は、名古屋@名古屋ボストン美術館福岡@九博大阪@大阪市立美術館と巡回しますが、相当の混雑を覚悟して出かけられるのがよろしいかと思います。

もっとも、ボストン美術館でさえも、これほど日本美術の至宝をまとめて観る機会なんて無いそうですから、やはり、仕方ないと言えば仕方ない


ところで、私、ボストンには一度だけ行ったことがあります。

パッケージツアーだったもので、残念ながらボストン美術館には行けずじまい…

でも、ホテルの部屋の内装に、「ボストンだぁ~~と感じいった次第です。


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おっと、まだ「ボストン美術館 日本美術の至宝」「近代洋画の開拓者 高橋由一」展の感想を書いていない

コメント (2)
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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その3)

2012-06-10 22:12:58 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その2)」のつづきは「平和の礎」。


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「平和の礎(いしじ)」は、沖縄県のHPから引用すると、


沖縄の歴史と風土の中で培われた「平和のこころ」を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑「平和の礎」を太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する。


と、要するに「記念碑」です。
沖縄戦で亡くなり、名前を刻まれている人は、


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全部で24万人以上
このうち、沖縄県出身者の方については、


昭和6年(1931年)9月の満州事変から、昭和20年(1945年)9月までに亡くなられた方(空襲や徴集船、疎開船、引揚げ船の遭難、退去命令や疎開によりマラリア又は栄養失調などにより亡くなられた方を含む)、戦争が原因で終戦後概ね1年以内に亡くなられた方(ただし、原爆被爆者は、期限を定めず刻銘する)も刻銘の対象となっている。


とのこと。
それにしても、屏風型の石の両面に、24万人以上の方々の名前が刻まれている光景というのは、なんというか…、ちょっとことばになりません


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海に向かって左側に沖縄県出身者の方々のお名前、右側に沖縄以外の日本人の方々と敵・味方を問わずに外国人の方々のお名前が並んでいます。
こちら外国人の方々のお名前が刻まれた碑。


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私の親戚・知人に沖縄戦で亡くなった人はいませんが、秋田県出身者のお名前を見てみました。
すると、私の祖父と同姓同名の方を発見
ありふれた苗字ながら、祖父と同じ名前の方はそうそういませんから(少なくとも私の名前よりも珍しいと思う)、これには驚きました。
写真に撮って、他の写真と一緒に実家へ送ったのはいうまでもありません。


   


扇形に同心円状に並ぶ「平和の礎」、


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扇の要(かなめ)にあるのが「平和の火」です。


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この写真では火が灯っているようには見えませんが


沖縄戦最初の上陸戦である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火


した火が種火の状態で三角錐の中で揺らめいているそうです。
そして、この「平和の火」の方角、沖縄戦終結の記念日、6月23日太陽が昇ってくる方角なのだとか。


   


次に向かったのは沖縄平和祈念資料館


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この日、5月2日ゴールデンウィークまっただ中とはいえ、カレンダー上はウィークデーで、資料館には大勢の小学生たちが団体で見学にやって来ていました。


120610_2_08 博物館・資料館で団体の小学生に遭遇すると、やかましくてたまったものではありませんが、うまい具合にちょうど昼食時だったもので、そこそこの環境で見学することができました
2日前、沖縄県立博物館を見学したとき(記事はこちら)、


先の大戦末期の沖縄戦に関する展示が手薄だったのが不思議


だったのですが、沖縄平和祈念資料館を見学して合点がいきました。


現代史、つまり、沖縄戦から本土復帰、そして現在に至るまでの期間は、沖縄平和祈念資料館の守備範囲だったのです。


TVや本、映画などで知っていたつもりの、軍・民の分け隔てなく巻き込まれた沖縄戦について、沖縄の空気を吸いながら、しっかりと勉強することができました。


やはり、重い…
書き続けるのには、ちょっとパワーが足りません


ということで、本稿はこれまで


つづき:2012/06/17 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その4)

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どこまで切なくさせてくれるのだろう

2012-06-10 22:06:29 | MISIA

NHK ドラマ10「はつ恋」の主題歌、MISIA「恋は終わらないずっと」6月20日に発売予定です。


恋は終わらないずっと<br />(初回生産限定盤) 恋は終わらないずっと
(初回生産限定盤)

価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-06-20
恋は終わらないずっと
価格:¥ 1,200(税込)
発売日:2012-06-20

NHKの番宣でチラ聴きした印象と比べて、ドラマで聴く「恋は終わらないずっと」は、かなり軽やか、でも、しっかりと「MISIAのバラード」で、こりゃイイと思っていました。


もうずいぶん前からSonyMusicのサイトでは、収録曲をちょい聴きできていて、そこで聴いた「恋は終わらないずっと(Piano Version)」は、どちらかというと淡々としたオリジナルとは違って切なさが際立った感を覚えていました。
ところが、オリジナルのフルバージョンを聴くと、これが…



これはこれでかなり切ない


「Piano Version」はどうなってしまうのでしょうか

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これは「湯けむり」ではなく霧

2012-06-09 05:44:05 | 旅行記

昨夜から箱根に来ています。


久しぶりに温泉に浸かっての~んびり…なんですが、天候がイマイチ


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ずっとが降っているし、それに、寒い…


もう少ししたら、朝風呂に入って暖まってきます


【追記】久しぶりの「温泉競馬」は、競馬をすることもなく、昨日、1泊2日の日程を終えて帰着しました。


なんだか今回の「温泉競馬」のハイライトは、帰りの高速道路に集中していた気がします。

まず、


①後続車がスピン

東名高速の東京料金所で、ゲートを通過しようとしたとき、ふとルームミラーを見ると、後ろを走っていたはずのトラック横を向いています
別のゲートを通ろうとしているのかと思ったら、そのトラックはぐるんとスピンして下り車線との仕切りぶつかった
私はそれまで追い越し車線(いちばん右の車線)を流れに乗って走り、ほどほどのブレーキをかけながら右から2番目のゲート(いちばん右のゲートはいつも閉鎖)に進入していましたので、私が原因になったとは考えられません。
想像するには、そのトラック、いちばん右のゲートを通ろうとしたら閉鎖されていたものだから、急に車線変更しようとしてスリップした(路面は降りしきる雨で濡れていました)のではなかろうか
もし、私がそのトラックの後を走っていたとしたら… 怖いデス…


②首都高速の道路上に落下物

首都高速3号線を都心に向かって走っていると、三軒茶屋入口の手前から流れが悪くなっていました。

その原因は追い越し車線に停車中のトラック回送運行許可証装着)
そのトラックの手前にタイヤのかけららしき塊が落っこちていましたので、タイヤがパンクしたのでしょう。

迷惑な話だと思って先にすすむと、今度は追い越し車線にトラックの荷台を覆うためのシートが落っこちていました

まったくもって迷惑な(危険な)話です


③何かが飛んできてクルマに当たった

友人を途中の駅まで送るため首都高速湾岸線を走っていると、東雲JCT付近で突然、前方から白い何かが飛んで来ました。

避けるもできないまま、その「白い何か」は私のクルマの前方・左に当たった


ぱふぉ


どうやら発泡スチロールだったようです。

そんな軽いものだから良かったようなものの、もしあれが固いものだったらと思うとゾッとします


③ガソリンが足りないかも

今回の温泉競馬に出かける時点(出発点は職場)で、先週末に給油してから自宅⇔職場を4往復半していました。最近の傾向から、1回の給油で6往復半、約800km以上は走れそうでしたが、適当なタイミングで給油しようと思っていました。

ところが、そのタイミングを逸してしまい、結局、いつものガソリンスタンドまで無給油で走ることにしました。

120609_1_03 友人を新木場駅で降ろし、再び首都高速湾岸線に乗って中央環状線経由で自宅を目指したところでは、クルマの「航続可能距離」表示は約70km

ナビの表示によれば、自宅までの距離は約40kmとのことでしたから、余裕はあります。

それでも、走り続けるうちに「航続可能距離」の表示が

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になると、さすがに不安になりました。
箱根の山道を走ったし、雨模様で窓が曇るのでエアコンを使っていたしで、燃費はいつもより悪いはずですから。

もし大渋滞に巻き込まれて、もし首都高速の路上でガス欠になったらどうしよう…

燃料計の針はちょうど「E」を指していますし…。

そんなわけで、いつものガソリンスタンドにたどり着いた時の安堵感といったらありませんでした

そして給油量は、、、


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71.02リットル


私のクルマの燃料タンクの容量は約80リットルですから、残りは約7~8リットル、少なくともあと50kmは走れた計算になります。

でも、こんな状況は心臓によくありません。


ということで、いろいろあった温泉競馬からの帰路でした。(2012/06/10 09:43)

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「やさしい嘘つかないで」ですかぁ

2012-06-05 23:57:01 | MISIA

NHK ドラマ10「はつ恋」第3回に出てきたセリフ、


三島くん、やさしい嘘つかないで


思わず連想しました、この曲



中園さんやまとなでしこでもEverythingの一節をセリフを使っていましたっけ…

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その2)

2012-06-05 22:53:19 | 旅行記

「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その1)」のつづきは、「沖縄旅行3日目はひたすらドライブ(その5)」で書いた「今回の沖縄旅行のプランを練ったとき、まず行きたいスポット」の一つ、「平和の礎」のある平和祈念公園のお話です。


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私でも、太平洋戦争末期に沖縄で戦闘が行われて、民間人を含む大勢の人たちが亡くなったことは知っていました。そして、沖縄本島最後の戦場が「摩文仁の丘」だったことも知っていました。
ところが、今回の旅行のプランを練り始めるまで、「摩文仁の丘」沖縄本島のどこにあるのかさえ知らなかった…
さらにいえば、米軍がどこから(上陸して)日本軍を攻略し、攻め込まれた日本軍や民間の人たちがどのように移動して、「摩文仁の丘」が最後の戦場になったのかも知りませんでした。
ただ漠然と、「日本国内で地上戦が行われたのは沖縄だけ」という生半可な知識があっただけ
そんな「無知の知」だけがよりどころ(?)の平和祈念公園訪問でした。


   


「摩文仁の丘」があるのは沖縄本島のほぼ最南端、糸満市


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大きな地図で見る


米軍は、1945年4月1日、沖縄本島中西部の読谷~嘉手納~北谷の海岸から上陸し、日本陸軍(第32軍)司令部が置かれていた首里まで1か月半をかけて南下して激戦を繰り広げた結果、陸軍司令部は5月28日に南部への撤退命令を出して、同月30日に摩文仁に陣を敷いたのだとか。

そして、6月23日(あるいは22日)、第32軍の牛島司令官の自決をもって、「沖縄守備隊の組織的な戦闘」は終了したのだそうな。


改めて、沖縄戦のことをほとんど知らなかったことを痛感します。
とりわけ、私が2泊したホテルの周辺がまさに戦場のまっただ中だったなんて…


   


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平和祈念公園には私の目的地の一つ「平和の礎」のほか、沖縄県平和祈念資料館(こちらの話は後日)、沖縄平和記念堂国立沖縄戦没者墓苑、そして32府県の慰霊塔があります。


「なんで32府県? 15都道府県はどうした?」と思うのが普通でしょうが、沖縄は別格として、京都府のは宜野湾市山梨高知両県のは八重瀬町北海道東京都山形奈良和歌山鳥取島根広島香川大分宮崎各県のは糸満市内の別の場所にあるようです。


秋田県人の私としては秋田県の慰霊碑にお参りしないことには心の整理がつきません


ということで、秋田県の慰霊碑「千秋の塔」です。


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碑の名前といい、香炉にあしらわれたフキのデザインといい、秋田っぽかったです。


なんだか書くのが大変です。


考えるとどんどん深くなってしまうし、おちゃらけるのは場にそぐわないし…


そんなわけで、「千秋の塔」の隣りにある新潟県の慰霊塔香炉の写真を載せてこの記事を終わりにします。


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新潟県長岡市で出土したと伝えられる火焔土器がモチーフでした


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つづき:2012/06/10 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その3)

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写真家・比嘉康雄さんが気になる

2012-06-03 19:04:03 | テレビ番組

昨夜、「沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その1)」を書きながら、「いつだったか、NHK 日曜美術館沖縄の神事を撮影した写真家が取り上げられたことがあったけ…と思い出しました。


昨夜はかなりビールの酔いが廻っていましたので、きょう、ライブラリーを捜してみると、、、ありました


120603_1_01 2010年12月12日放送の「沖縄 母たちの神―写真家・比嘉康雄のメッセージ―」


さっそくBDを観ました。


いやはや、沖縄旅行の前にもう一度観ておけばよかった…とつくづく思いました
番組HPから転記しますと、


神の島と呼ばれた沖縄・久高島をはじめ、島々に息づく“まつり”の世界。人々は昔から、海のかなたから神がやってくると信じ、神とのつながりを大切に生きてきた。そんな島の精神を記録し続けた人がいる。 10年前に世を去った沖縄の写真家・比嘉康雄(1934-2000)。久高島・イザイホーや宮古島のウヤガンなど、いまでは失われた祭祀(さいし)を撮影、えもいわれぬ神々しさで、沖縄の心のルーツに深く迫ろうとした。


で、番組は、1978年に行われた最後のイザイホーの様子(動画)を含めて、今となってはかなり興味深い内容でした。
記憶ではまだ新鮮な沖縄県立博物館・美術館とか斎場御嶽(せーふぁうたき)が登場しますし…
これを観てから沖縄に行っていたら、また違う印象や感慨を抱いたかもしれません。


さらに「繋がる」事実が明らかになりました。


昨年7月、私は年休をとって静岡県長泉町にあるクレマチスの丘に行き、3つの美術館をハシゴしたのですが(記事はこちら)、訪れた美術館の一つ「IZU PHOTO MUSEUM」では、私が観た「富士幻景 富士にみる日本人の肖像」 の前は「母たちの神?比嘉康雄展」が開催されていたとな


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このときの図録を入手できないものかと思ったら、

120603_1_02a

ご好評につき売り切れました。


ですって…


そこで、Amazonで捜すと、見事に見つかったものの、


母たちの神―比嘉康雄写真集 母たちの神―比嘉康雄写真集
価格:¥ 3,680(税込)
発売日:2010-12

120603_1_04


中古品(古本)しかなく、しかも価格が、参考価格¥3,680に対して


中古品: ¥19,984より


とな

これでは手が出ません…


さらに捜すと、見つかりました


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さっそく注文したのはいうまでもありません

メーカー取り寄せ」に若干の不安を覚えつつも、まぁダメモトで…


   


ところで、上にリンクを貼った「IZU PHOTO MUSEUM」「富士幻景 富士にみる日本人の肖像」のサイト、冒頭をど~んと飾っている杉本博司さんの「横浜写真 明治20年代」、この富士山の写真は、NHKドラマ10「はつ恋」のエンドタイトルで流れている田貫湖からの眺めではなかろうか…


ある程度予想されたその後の顛末:2012/06/21 楽天ブックスからの2通のメール

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沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その1)

2012-06-02 18:38:15 | 旅行記

3泊4日の沖縄旅行を決行してから早くも1か月が経ちました。
というのに、旅行記はようやく「最終日」の話が始まります。


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この日のルートは、5月2日の「やはり梅雨だった沖縄旅行・最終日のダイジェスト」に書いたように、沖縄本島の南部を巡るものでした。


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凄い雨の中、最初に向かったのは琉球王国最高の聖地とされる「斎場御嶽(せーふぁ・うたき)」。
今回の旅行に備えて購入したガイドブックには、ほんのちょっぴりしか説明が載っていなくて、マイナーな観光地の気配… ですから、ポイントを外すことなく国道331号線から山の中に入っていけるのか不安でした。


ですが、「案ずるより産むが易し」で、しっかりとした案内看板があって、しっかりとした駐車場があって、しっかりと何組もの観光客がいて、しっかりとした場所でした。


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ただ、が凄くて、御嶽(うたき)の奥まで入っていけるのか、新たな不安が…
足下は泥水が流れて、滑らず歩くためには気を張らせなければなりません


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それでも、ところどころに滑り止めのゴムシートが敷かれていたりしました。


こちらは、管理事務所兼展示室「緑の館 セーファ」からすぐの場所にある御門口(うじょうぐち)


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案内板によれば、


斎場御嶽の入口で、神社でいえば拝殿にあたる所です。琉球最高の御嶽ゆえに、ここから入場できるのは王府関係者に限られていました。右側には、御嶽内にある六つの拝所を示す香炉が置かれ一般の人々はここで御嶽の中に向かって拝みました。


だそうで、時代が時代なら、私が入れるのはここまで
帰ってきてから判った話ですが、「男子禁制」とすることが検討されているようで、南城市こちらの資料によれば、


○以前から男子禁制について取り上げられているが実施する予定は?
→・来年(注:2012年)から実施する「休息日」の実施状況を見ながら、さらに検討していく。例えば、男性は御門口から中に向かって遙拝するなど、斎場御嶽が昔から行ってきた形に出来るだけ沿う形を提案していきたい。


とあって、数年後には「男性は御門口まで」となる可能性があります。

斎場御嶽現役の聖地であって、また、御門口「神社でいえば拝殿にあたる所」であるとすれば、一般人(男性)が本殿(斎場御嶽)に立ち入ることが許されないのは当然のことかもしれません。


ところで、沖縄以外では「女人禁制」という話を聞くことはあっても、「男子禁制」というのは、江戸城大奥以外には聞いたことがありません。
沖縄の独自性を輝かせる習わしだと思います。


それはともかく、現在は男性でもより内部に入れますので、先に進みましょう。


最初の拝所が、大庫理(ウフグーイ)


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説明板によれば、


首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。聞得大君(きこえおおきみ)のお新下り儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀式が、首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われたのは、その名にふさわしいことと言えましょう。前面にある磚(せん)敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し琉球王国の繁栄を祈りました。


だそうで、説明に出てくる「聞得大君」は沖縄の歴史・文化・風習をちょっとでもかじればすぐに行き当たるかなり重要な「単語」ですので、知っておいて損はありません。


それともう一つ、今年(2012年)から旧暦5月1~3日と旧暦10月1~3日は「斎場御嶽休息日」として斎場御嶽には誰も入れなくするのだそうです。
これは、「聖地としての静寂を確保し、マナー向上や自然保護を考慮する機会とするため」、2014年までの3年間、試験運用するのだとか。

せっかく行ったのに入れなかった」なんてことのないよう、事前に調べてから出かけましょう。「斎場御嶽休息日」は旧暦で設定されていますから、毎年、その日が違いますし。
今後3年間の「斎場御嶽休息日」は、以下のとおりです(こちらをご参照方)。


2012年 6月20~22日、11月14~16日
2013年 6月9~11日、11月3~5日
2014年 5月29~31日、11月22~24日


   


いつの間にやら雨が上がって、ちょっと差す陽の光で、濡れた木々がなまめかしく光っていました。


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そして、やって来ました、三角岩


120602_1_08


むりやり2枚の写真をつぎはぎしたことがバレバレで申しわけありません。


向かって右側に鍾乳石があって、その下に白いものが二つ置かれているのが見えます。

大きくしますと、


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鍾乳石から滴り落ちる水(聖水)を受け止める壺が二つ。

奥が「シキヨダユルアマガヌビー」、手前が「アマダユルアシカヌビー」だそうで、斎場御嶽のリーフレットには「シキヨダユルとアマダユルの壺」と書かれていますから、語の構成は、前者が「シキヨ(+)ダユル+アマガ+ヌビー」、後者が「アマ(+)ダユル+アシカ+ヌビー」というなのでしょうけれど、いったいどういう意味なのでしょうか…


調べるうちにこちらのサイトに到達しました。


それによりますと、「シキヨダユルアマガヌビー」は「シキヨを伝って、天から流れてくる聖水」、「アマダユルアシカヌビー」は「アザカ(アシカ)の木を伝って、天から流れてくる聖水」という意味だそうで、「シキヨ」と「アザカ(アシカ)」は聖なる植物なんだとか。
どうして語順が入れ替わるのでしょうかねぇ~


さて、視線を左に動かすと、三庫理(サングーイ)があります


120602_1_10
巨大な岩の隙間を抜けた先には、右側に拝所「チョウノハナ」があり、


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振り返ると、「久高島遙拝所」があります。


120602_1_12説明板を転記しますと、


琉球王国の絶対的な存在である国王はまさに太陽であり、その太陽のあがる方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへの「お通し(遙拝)」所として沖縄格地で崇拝されています。
琉球王国時代の久高島遙拝所は御門口下方にありますが、いつしかこの場所が遙拝所として定着したことを受け、南城市としても保護しているものです。


あれ? ここは古来からの遙拝所ではなかったということ?
ちょっとあてが外れた感がなきにしもあらずですが、でも、この場所にはかなり霊力が渦巻いているようで、遙拝所として違和感はまったくありませんでした。
ただ、、天気がねぇ~
久高島はほとんど見えませんでした


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大きな地図で見る


   


聖地「斎場御嶽」には、沖縄戦の傷跡が残されていました。
こののような水たまりです。


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「斎場御嶽の艦砲穴」として、こんな説明が書かれていました。


1945年の沖縄戦において、「鉄の暴風」と形容されるほどの砲弾が撃ち込まれ、終戦直後は沖縄本島内至るところに艦砲穴といわれる砲弾でできた穴が残っていたが、大半の艦砲穴は埋められるなどして残っていない。そのため、沖縄戦の様子を伝える戦争遺跡として保存している。


どうしてこんな聖域艦砲射撃の標的になってしまったのでしょうか?
戦略的にも戦術的にも意味があったのか鼻息荒く視線をずらすと、、、、そこにあったのは、


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また出たぁ~ ハブ注意の看板です
周りの草木や岩の隙間からハブが現れるのではないかと、ちょっとびびりながら


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最後に「寄満(ユインチ)」を見学して、


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斎場御嶽訪問を終えたのでありました。


天候に恵まれず、また、私のようなよそ者が聖地の奥深くまで足を踏み入れて良いものだろうか?と思いつつも、沖縄の民俗に思いを巡らせたり、雨を浴びて生き生きとしている植物を目にしたりと、良い体験をさせていただきました


【追記】シキヨ」と「アザカ(アシカ)」が気になって調べていると、答らしきものに行き着きました。
まず、増田昭子さんによる「雑穀の社会史」と題する論文

引用しますと、


外間守善他編『定本琉球国由来記』漂着型神話「五穀の種」によれば、漂着した壷に入っていた五穀の種は、麦、粟、黍、籩豆、檳榔(びんろう)、アザカ、シキヨの七種である。この神話を伝承するのは沖縄県の久高島の大里家で、「五穀世大里」と呼ばれている。<中略>
沖縄の久高島の神話には檳榔とアザカ、シキヨという植物が入っている。檳榔はクバのことであり、アザカも植物で、両方とも重要な祭祀において扇や冠に使用される神聖な植物である。籩豆は豆類、シキヨはススキのことである。


これで「シキヨ」はススキのことらしいことが判りました(またもや外間守善さんのお名前が登場)。


さらに「アザカ(アシカ)」を調べると、今回の旅行で余裕があれば行ってみたかった「おきなわ郷土村・おもろ植物園」サイトに行き当たりました。


おもろ名:アサカ、方言名:アザカ・アダカ・ガラシヌチビヌグヤーとは、和名がボチョウジ・ナガミボチョウジというアカネ科の常緑低木だそうで、「利用」「魔除け、祭祀」というところがいかにも 冬に色鮮やかな小さな実をつけるあたり、本土のナンテンのような立ち位置(?)なのかもしれませんナ。


さらに、このサイトには「アザカ(アシカ)」に続いてススキが載っています。「シキヨ」の呼称は出てきませんが、これまた「利用」の中に「魔除け、呪具」とあって、いかにも


このブログ、書くのは結構手間がかかっていますが、このように断片的なことが繋がっていくのが楽しい
(2012/06/02 22:15)


ちょっと寄り道:2012/06/03 写真家・比嘉康雄さんが気になる

つづき:2012/06/05 沖縄旅行最終日は降ったり止んだり(その2)

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