
記念の石は建てるな。ただ年毎に
薔薇を彼のために咲かせるがよい。
なぜならそれがオルフォイスなのだから。あれこれの存在のなかの
彼の変容よ。私たちは心を労してほかの名を
求めはしない。歌うものがあれば
それはいつもオルフォイスだ。彼は来てはまた去ってゆく。
時として彼が薔薇の水盤に数日のあいだ踏みとどまれば、
それだけでもうたいしたことではないか?
おお 理解するがよい! 彼は消えてゆかなくてはならない!
そして彼自身にも消え去ることが不安であろうとも。
彼の言葉がこの地上を凌駕するとき、
彼はもう彼方にいる、きみたちの同行できぬところに。
竪琴の格子も彼の手をはばむことはない。
そして彼は従っているのだ、歩み越えながら。
(田口義弘訳)
記念の碑(いし)を建てるな。ただ年々に
かれのためにばらを咲かせよ。
なぜならそれはオルフォイスだ。あれこれの
物のなかでのオルフォイスの変身なのだ。別の名を
わたしたちは齷齪と求めまい。何かが歌うなら
それはかならずオルフォイスだ。彼は来ては去る神。
ときとしてばらの萼(うてな)のうえに
二、三日辛抱する、それだけでも多としなければ。
消え去ることがわれながら不安だろうと、
かれは姿を消さなければならぬ、そのことわりが君らに解ればいい!
かれの言葉が地上の存在を超えるとき、
はやくもかれは、君たちのついてゆけない彼地にいる。
竪琴の絲の格子もかれの手を阻みはしない。
そして境を超えてゆきながら、オルフォイスは従順だ。
生野幸吉訳
ここに書かれた「薔薇」はリルケの詩「墓碑銘」と無関係ではないだろう。
墓碑銘 リルケ 生野幸吉訳
ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ。
ローヌの流れを見下ろすラロンの丘の教会にこの墓碑はあります。『記念の石は建てるな。』という書き出しとは裏腹に。どなたが建てたのでせうか?たくさんの瞼のように見える薔薇の花びらのなかには、実は誰もいないのです。それはリルケのあらゆる所有から放たれた眠りへの願いだったのでせうか?それにしても、リルケの著書には「*****の所有なり。」という献辞が多いですね。。。
生き残された人々は死者のために石の墓を建てて、そこに死者の位置を留めようとしますが、実は死者はそこでは安らいでいないのではないか?石の墓を建てず薔薇の花を植えよ、ということは・・・・・・?
薔薇の花は開花と共にすぐに枯れて、ゆっくりと花びらを落としてゆくはかない花です。たくさんの花びらに囲われた世界の内側には、何もないのです。
さらに、オルフォイスはすでに「死」を経験した者であり、だからこそ変容しつつ自由な存在としてどこへでも行けるのです。薔薇の咲く数日だけ彼はそこに宿り、また竪琴の絲の向こうへ行ってしまうのです。地上に生きる者たちの行くことのできない向こうへ。
ここには「ボードレール」との類似点がありますね。それは詩人は言葉を持たないものたちのなかに「音楽」を聴きとることができるということです。その「音楽」を詩作に構築しなおすことができるということでしょう。その「音楽」とは薔薇であり、また香り、風、空、色などさまざまなものを内包しています。それが「オルフォイス」と名付けられたのでしょうか?
* * *
薔薇はリルケの最も愛した花であり、このソネットの「第二部・6」にはその薔薇について書かれています。またこのソネットの順番を狂わせますが、次回に書いてみます。(もともと順番どおりに読むつもりはありません。全部をここに書くつもりもありません。念の為。)