ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

思い出袋 鶴見俊輔 (その1)

2011-02-06 22:13:45 | Book


本を読んでいて一番嬉しい出来事は、以前に読んだ本との共通項に出会った時。
今、鶴見俊輔のエッセー集「思い出袋」を読んでいます。その前にキルケゴールを拾い読みしていました。
この鶴見俊輔の本はほとんど全部を引用したいくらいに、光る言葉が続出します。
1回では書ききれませんので、分けて書いてゆきます。


まずは「1・はりまぜ帖」のなかの「学校という階梯」のなかに書かれた「金子文子」について。
「朴烈」「金子文子」夫妻(?)の話がある。
2人は「反天皇」思想を罪とされて死刑宣告。
その後「天皇」の名で大赦となるが、「大赦を受ける理由はない。」と金子文子は独房で自死。朴烈は終身刑となる。

1925年の「朴烈事件」

金子文子が獄中で書いた記録のなかで「今この時は、永遠のなかで保たれる。」という直感を述べているそうです。
ここで鶴見俊輔は、この金子文子の自死を、キルケゴールの説いた「永遠の粒子としての時間」という直観と響きあうと書いています。
天皇の大赦を退ける勇気が、その後の日常において保持できるか?という金子文子の予測感覚が自死に繋がる。

鶴見俊輔が彼女に着目した点はもう1つあります。
金子文子は、学校教育をほとんど受けていません。
それゆえに、教師の教えを念写することに習熟するだけの優等生の絶えざる転向の常習犯になる不幸に陥らなかったということでした。