この本に贈られた賞についてまず記しておきます。
フランスの文学賞に「ゴンクール賞」がありますが、
もう1つ注目したいものに「高校生ゴンクール賞」があるのです。
この小説は2005年にその「高校生ゴンクール賞」を受賞しています。
毎年約2000人の高校生によって決定される賞で、これは日本では考えられないような試みですが、
この賞は20年以上の歴史をもつもののようです。
はなから「賞」などという話題で申し訳ありませんが、
「高校生」ということにわたくしはちょっと驚いたのでした。
この物語は第二次世界大戦末期のドイツから始まります。5歳の少年がひどい病気にかかり、
高熱によって言葉も記憶も焼き尽くされ、母親は少年の過去の5年を埋めるように、
言葉によってその少年をもう一度産み直そうとするのでした。
父親は熱狂的なナチス党員。その時の少年の名前は「フランツ」だった。
敗戦と同時に一家の逃亡生活、父親は亡命先で生死不明、母親は病死、
「フランツ」を引き取ったのは母親の兄だった。
かつて彼はその両親とは全く異なる生き方を選び、
イギリスに亡命した牧師であり、妻はユダヤ人だった。ここで彼の名前は「アダム」となる。
そして20歳には彼の意志によって「マグヌス」と名乗ることになった。
この名前は記憶を失くした時から抱いていたクマのぬいぐるみの名前。
大人から詰め込まれた記憶ではない、
唯一の彼の本当の記憶を共にしたのはこの「マグヌス」だけだったのではないでしょうか?
なにも語らない者こそ真実であると。。。
「マグヌス」と名乗った時から、彼の人生は自らの意志によって歩き出すことになるのですが、
彼のもっとも幸福と思われた愛の成就も、その不幸な運命によって失われる。
しかし最後には、彼は丹念に孤独を生きることに人間の本来の姿を見出したように思えてならない。
この小説の構成も興味深い。「章」の変わる毎に「断片=フラグマン」、「注記=ノチュール」、
「絶唱=セカンス」、「挿入記=アンテルカレール」が挿入されていて、
そこに小説の補足説明、歴史的背景、詩歌の引用などがなされて、
この小説に歴史的な意味合いとファンタジー性をもたせて、ふくらみのある作品となっているように思えました。
旅立とう! 旅立とう! これぞ生きている者の言葉!
旅立とう! 旅立とう! これぞ放蕩者の言葉!
(サン=ジョン・ペルス 「風」)
この本を閉じた時に、わたくしの耳にいのちの羽音が聴こえてきました。
それは「マグヌス」がこの物語のなかで最後に出会い、その死も見送ることになった、
戸外を遊ぶ老いた修道士であり養蜂家のジャン士がわたくしに残したメッセージだったようです。
それは多分、いのちは導かれるべきものによって導かれ、
その死もまたそのように訪れる。なにも恐れるものはないと。。。
(2006年・みすず書房刊・辻由実訳)
『一冊の本に使われる言葉は、ひとりの人生の日々以上にひとまとまりになっているわけでなく、
言葉や日々はどんなに豊かでも、ただ沈黙という広大な画面に、
文章や示唆や部分的可能性の小島を描いているだけだ。
しかも沈黙は完璧でも平穏でもなく、小さなささやきを絶え間なく発している。
過去の彼方から聞こえてくるささやきは、至るところからどっと噴き出す現在の声と重なる。』
『書くということは、ささやきの奥底まで降りてゆき、その声が途絶える時点で、
言葉の間隔、言葉の周辺、ときには言葉の中核から聞こえてくる息づかいに耳を傾ける術を知ることなのだ。』
(序奏より。)
フランスの文学賞に「ゴンクール賞」がありますが、
もう1つ注目したいものに「高校生ゴンクール賞」があるのです。
この小説は2005年にその「高校生ゴンクール賞」を受賞しています。
毎年約2000人の高校生によって決定される賞で、これは日本では考えられないような試みですが、
この賞は20年以上の歴史をもつもののようです。
はなから「賞」などという話題で申し訳ありませんが、
「高校生」ということにわたくしはちょっと驚いたのでした。
この物語は第二次世界大戦末期のドイツから始まります。5歳の少年がひどい病気にかかり、
高熱によって言葉も記憶も焼き尽くされ、母親は少年の過去の5年を埋めるように、
言葉によってその少年をもう一度産み直そうとするのでした。
父親は熱狂的なナチス党員。その時の少年の名前は「フランツ」だった。
敗戦と同時に一家の逃亡生活、父親は亡命先で生死不明、母親は病死、
「フランツ」を引き取ったのは母親の兄だった。
かつて彼はその両親とは全く異なる生き方を選び、
イギリスに亡命した牧師であり、妻はユダヤ人だった。ここで彼の名前は「アダム」となる。
そして20歳には彼の意志によって「マグヌス」と名乗ることになった。
この名前は記憶を失くした時から抱いていたクマのぬいぐるみの名前。
大人から詰め込まれた記憶ではない、
唯一の彼の本当の記憶を共にしたのはこの「マグヌス」だけだったのではないでしょうか?
なにも語らない者こそ真実であると。。。
「マグヌス」と名乗った時から、彼の人生は自らの意志によって歩き出すことになるのですが、
彼のもっとも幸福と思われた愛の成就も、その不幸な運命によって失われる。
しかし最後には、彼は丹念に孤独を生きることに人間の本来の姿を見出したように思えてならない。
この小説の構成も興味深い。「章」の変わる毎に「断片=フラグマン」、「注記=ノチュール」、
「絶唱=セカンス」、「挿入記=アンテルカレール」が挿入されていて、
そこに小説の補足説明、歴史的背景、詩歌の引用などがなされて、
この小説に歴史的な意味合いとファンタジー性をもたせて、ふくらみのある作品となっているように思えました。
旅立とう! 旅立とう! これぞ生きている者の言葉!
旅立とう! 旅立とう! これぞ放蕩者の言葉!
(サン=ジョン・ペルス 「風」)
この本を閉じた時に、わたくしの耳にいのちの羽音が聴こえてきました。
それは「マグヌス」がこの物語のなかで最後に出会い、その死も見送ることになった、
戸外を遊ぶ老いた修道士であり養蜂家のジャン士がわたくしに残したメッセージだったようです。
それは多分、いのちは導かれるべきものによって導かれ、
その死もまたそのように訪れる。なにも恐れるものはないと。。。
(2006年・みすず書房刊・辻由実訳)
『一冊の本に使われる言葉は、ひとりの人生の日々以上にひとまとまりになっているわけでなく、
言葉や日々はどんなに豊かでも、ただ沈黙という広大な画面に、
文章や示唆や部分的可能性の小島を描いているだけだ。
しかも沈黙は完璧でも平穏でもなく、小さなささやきを絶え間なく発している。
過去の彼方から聞こえてくるささやきは、至るところからどっと噴き出す現在の声と重なる。』
『書くということは、ささやきの奥底まで降りてゆき、その声が途絶える時点で、
言葉の間隔、言葉の周辺、ときには言葉の中核から聞こえてくる息づかいに耳を傾ける術を知ることなのだ。』
(序奏より。)