
ノンフィクション作家「澤地久枝・1930年9月3日生まれ」の記憶による、少女時代の自伝である。4歳の時、建築技師だった父親の仕事の関係で家族とともに満州へ移住。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げるまでの記録です。
戦後70年、澤地久枝の弟の孫が14歳になった時にこれは書きはじめられた。しかし14歳だった頃の彼女自身が、70年前の歴史をきちんと把握していなかったことも思う。その揺らぎのなかで、彼女は「書く」という方向を選んだ。
この本を読み終えて、何気なく「奥の細道」を開いた。(突然の展開で申し訳ない。)
行く春や鳥啼き魚の目は涙
耳慣れた芭蕉の句が、突然別の景色に変わった。引揚船の風景である。乗船する前に死んでしまった人もいたのだ。葫芦島に着いてからも待たされる難民の方々。そして、乗船できた引揚船のなかでも人は死ぬ。死んだ赤子は水葬に付される。(これは澤地さんの本には書かれていません。念の為。)共に身を投げようとした母親を男たちが引き留める。狂い泣く母親。海では誰が泣いてくれるのだろう?
私の内で、見えない糸がほつれながら伸びてきて、海の鳥が啼いて、魚の目が涙を流すのだと、私の脳内に巻き付いてきた。そこから次々と芭蕉の句が立ち上がる。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
蚤虱馬の尿する枕もと
そこに「遊女」はいなかったと思うけれど、内地へ強制送還(引揚)されることになった在満日本人は、住み慣れた自宅を出され、指定された場所に収容される。それぞれの異なる生き方をしていた人々が、狭さと不衛生とに耐えながら、引揚の時を待つ日々。
しかし、14歳の筆者が1か月滞在した(授業の一環として。)満蒙開拓の方々の生活は、これに同じであった。帰宅した少女は、まず母親にお風呂に入れられ、頭のなかの虱退治をされた。1か月間入浴しなかったし、泥まみれになって農業に従事してきたのだった。満蒙開拓の男たちはほとんどが召集されていたから。
ヘンな展開になったことをお許し願いたい。
澤地久枝氏がこういう展開を願ってはいないだろうと思うと申し訳ない。
哈爾浜で生まれ、敗戦後は父の判断で新京に移住。そしてほぼ筆者と同じ時期に2歳で葫芦島から一家で引き揚げてきた私である。父母の思い出話はすべてではないし、2人の姉はわずかな記憶があるらしいのだが、私は内地の記憶しかない。そのために私は、こうした本を読み続けるしかない。澤地氏の弟さんのお孫さんに語り伝える術もないのだ。
(2015年 集英社新書 第一刷)