
昨日は、息子一家がお見舞いに。
Y君は元気がありません。じいじの様子が不安なのでしょう。
夫のリハビリの成果はわずかづつですが、悪い方向にはいっていません。
本人も本気で頑張っています。
自力で生活できないことは、本人も避けたいことでしょう。
そのことは、順調ではありますが、予想外の状況が起きています。
本やCDを届けたり、精神面での協力にも関わらず、
本人が最も望んでいることは、なるべく長い時間(できれば毎日)わたしがそばにいることでした。
昨日は、共に病院に同行してくれた娘に助言されていました。
「お母さんの苦労もわかってあげなさい。暑いなか毎日ここに通うだけではなく、
家に帰れば、病院や保険関係の雑多な仕事もあるし、
諸々の雑用がたくさんあるのだから。」
そして、今日は娘が病院に行ってくれています。久しぶりのお休みです。ありがとう。
そういえば、それは義父母と同じ風景でした。
入院先の義父の病室で、義母は共にいて、帰宅できませんでした。
今ならば、病院側がおそらく許可しないでしょうが、あの時代は許されたのですね。
そのような義父母をモデルにこんな詩を書いていました。
陽の沈む海へ
ここは山にかこまれた小さな村
「陽の入る村」と呼ばれています
山ひとつ越えると そこには
「陽の沈む海」がありました
その海から
魚売りの行商は一日おきにやってきました
帰りには
村に一軒きりの薬屋の品物を
海辺の村へ運びました
その薬屋のおばあさんは
村人の持ってくる
大根や豆や薪の代わりに
風邪や腹痛や化膿止めの薬を渡しました
それが荒縄やあけびであっても
薬は交換されました
けれども おじいさんは
わがままな村長のおくさんのお金と
栄養剤を交換しませんでした
おじいさんは
自分の病気を治せないとわかった日から
おばあさんを片時もはなさず
一九六日を共に過ごして
木苺の実る日に逝かれました
それから おばあさんは
長く暑い夏をきちんと生きて
柿の実の色づいた朝に逝かれました
たくさんの村人に見送られ
二人の魂は行商の背に揺られながら
「陽の沈む海」へ運ばれました
村をかこむ山々の木々は
秋風のなかに立ち尽くしています
数日ののちには こらえきれずに
赤く泣きはらすことでしょう
木々が泣きつくしたら
小さな村の冬のはじまりです
山のむこうの
潮騒の音がかすかに聴こえる季節です
(詩集・河辺の家より)