ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

彗星の住人・島田雅彦

2010-05-09 22:16:44 | Book
 いやはや永い旅をしました。蝶々夫人が、海軍士官のピン・カートンに見初められ長崎で暮らし、仕官がアメリカに帰国中に1人息子「JB」を生む。そして再び戻ってきたピン・カートンはアメリカの妻を連れてきて「JB」だけを連れて帰国。1894年に蝶々夫人は自害する・・・というのがプッチーニのオペラのだいたいの筋書きで、1904年にミラノで初演されている。オペラ好きの作家らしい小説のはじまりです。

 この架空の人物かもしれない蝶々夫人から5代目にあたる「椿文緒」が辿る、「JB」→「蔵人」→「カオル=椿文緒の父親」の恋物語です。この4代の恋物語に作家はなにを言おうとして、こうした仕掛けを作ったのか?それが島田氏らしい展開となっています。それぞれの時代の権力と、もう1つのぼやけた権力(?)に対する痛烈な批判ではないだろうか?

 ハーフである「JB」は、アメリカ軍部に翻弄される。あまり役に立たないスパイであったり、通訳であったり、領事であったり。またオペラのヒロイン「蝶々夫人」が母親であることを知る。

 「蔵人」は売れない天才音楽家であったが、戦後日本のトップ女優「松原妙子」との結ばれぬ恋があった。彼女はアメリカの元帥が帰国(大統領から元帥として不適格とされて。)するまで元帥の日本の秘密の愛人として、後は生涯1人でひっそりと暮らすのだが。この女優のモデルが誰であるのか?想像はできますが、あえて書くまい。「蔵人」も短い生涯を送り、その妻もまだ少年の「カオル」を遺して亡くなる。

 孤児となった「カオル」は「蔵人」夫妻の親密な友人「常盤シゲル」の養子となり、義理の姉は「アンジュ」であり、「カオル」はその友人の「淺川不二子」に長い時間と距離をかけた恋をしたが、結ばれることはなかった。なぜなら彼女は「KO-KYO」と呼ばれる東京の大きな静かな森に住んでしまったからだった。

 なんとまぁ。あぶない恋物語を書いた島田氏ですねぁ。しかしこれもまた密かな「戦争」と「権力構造」への批判が見えてきます。最後はこう結ばれています。

 『蝶々夫人は末期の夢にも見なかっただろう。おのが恋が遠い未来の子孫の恋を左右するとは。恋は喜怒哀楽をゆがめ、理性を壊し、命さえ危険にさらしてもなお、終わらず、滅びず、今日もまた別の誰かが繰り返す。たとえ、恋人たちが死んでも、彼らの満たされなかった欲望は未来に持ち越され、忘れられた頃、蘇る。』・・・無限カノンー1

 (2000年・新潮社刊)

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