エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

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2013-08-02 02:22:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エリクソンのような、実践科学をしてきた人で、これだけ精緻な理論と、困っている人々を実際に支援するこれだけ具体的な手立てを創造した人でも、これだけの誤解ややっかみに出くわしていたとは、驚きですね。

 今日は、エリクソンはそんな疑いに応えます。

 

 

 

 

 こういった疑いすべてに対して、ここでは次のことだけを申し上げておきましょう。すなわち、今日のような科学技術が進んだ文明が、かつてないほど多くの人が参加し、しかも、危なっかしい即席なやり方で、赤ちゃんの時期の数年間を、大人同士の関係と一緒に、日常生活を再び礼拝にしようとする、その様々な方法を調べようとすれば、それは、実際には、学際的な議論を相当しなくてはならないでしょう。しかし、私がご指摘したいのは、1960年代の若者たちの散発的な反乱において、多くの人が繰り返し日常生活を礼拝にしようとしたことに関して、健全で重大な問いが、実際に表明されるようになった、ということです。あの反乱も、あらゆる対抗文化と同様に、権力側が想像力を失っていることに対する深刻な不満と、権力者側は、(自分たちの)想像力の欠如に対して、大きな犠牲を払って否認していることを表現したものです。権力側の人々は、若者が血なまぐさい大義のために奉仕することに、いつまでも頼っているのに、その血なまぐさい大義をどうしたら終わりにできるか(分からずに)、無力感を感じているという始末でした。やりすぎ・行き過ぎの(大量殺戮)出来る科学技術的手段に頼れば頼るほど、その手段にますます絶望的なほどに確信が持てなくなるのが、まさに植民地(獲得)戦争のまやかしの現実でした。このことは、若者の一部にとっては、「そんな『生き方』はとても耐えられない」と、ふと思えたことでした。それは同時に「そんなことのために死ねない(そんな事のために人を殺せない)」と感じることでした。

 

 

 

 

 今の日本で、「反乱」「反抗」と言えば、生徒指導の対象でしょう。しかし、日本でも1960年代を若者として過ごされた団塊の世代の人々の中には、エリクソンがここで述べていることに、共感する方も少なくないのではないでしょうか? あの時代は、むしろ、 「反抗する方がまとも」で、そうでないものは「ノンポリ」と軽蔑されていた時代だったのではないですか? その反乱は、日常生活を再び礼拝にして、生きる意味と生きる歓びを 求める健全で重大な問いだった! というのが、エリクソンのはっきりした意見です。私事で恐縮ですが、私の恩師、西村秀夫も、エリクソンと同じ思いで、学生が「反乱」という形で表現していた問いに、真正面から対して、誠実に真実に応えようとした人でした。そして、深く傷ついたのでした。

 しかし、これは、今の日本の小学校や中学校などで、不登校や学校に「不適応」と言われる子ども達にも、そのまま当てはまることだと、私は強く感じています。つまり、 「不登校や『不適応』をしている子どもの方がまとも」なのであって、彼らが日常生活を再び礼拝にして、生きる意味と生きる歓びを切実に求めている、ということです。ですから、今私どもに問われているのは、彼らの求めに応じて,日常生活を再び礼拝にすることを創造することであり、その日常生活の礼拝を支える新しい価値と、その新しい価値を体現する新たな物の見方の創造です

コメント
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