エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

真実は必ず明らかになる。

2014-01-28 13:39:51 | フーコーのパレーシア

 

 イオンとクレウサとの関係は、オイディプスとイオカステーの関係と瓜二つで、母と子がお互いに相手の存在に気が付きません。しかし、違いもあるといいます。

 

 

 

 

 

 というのも、『オイディプス王』では、フォイボス・アポロは端から本当のことを話しますし、どうなるのかについて正直に見通しを言います。そして、人間はいつだって、本当のことを包み隠し、あるいは、見ないようにするものですが、それは、神が予言する運命から逃げようとするからです。しかし、結局は、アポロが二人に与えた、いつくかの印によって、オイディプスとイオカステーは、二人が本当のことから逃げようとしたのにもかかわらず、本当のことを発見することになります。現在では、人間は本当のことを見つけたいと願っています。イオンも自分はだれで、どこから来たのかを知りたいと思います。クレウサも自分の息子の運命を知りたいと思います。しかし、本当のことを自ら暴けるのは、まさにアポロだけでした。本当のことに関するオイディプスの問題は、人間が、自分自身は本当のことがよく分かっていないけれども、神が語り掛け、人間は見たくない、真実の光をいかに見るかを示すことによって解決します。本当のことに関するイオンの課題が解決するのは、アポロがだまっているのにもかかわらず、熱心に知りたいと願っている真実を、人間がいかに発見するかを示せば、足ります。

 

 

 

 

 

 人間は本当のことを、なかなか気づかないし、真実を避ける傾向があるけれども、真実の光が与えられます。また、真実は、隠されていても、熱心に知りたいと願えば、おのずから知ることができるものなのですね。そう、真実は必ず明らかにされるのです。

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あいまいさの中に、筋を見つけ出す臨床技法

2014-01-28 11:01:25 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターは子どものころ、家でも厳しくされ、学校でも厳しくされ、教会でも結局は厳しくされていました。どこにも、ぬくもりのある関係が見つけられなかったと思います。でもこれって、日本の子どもたちが、今感じているところと、あんまり変わらないと思います。ただ、日本にはこの「教会」はありません。日本の場合は、さしずめ「世間」がこれに相当することでしょう。

 

 

 

 

 

 あちこちで、本当かどうか疑わしい誇張がよくあることを除外すれば、伝記作家たち(特に、シェール)が克明に背後関係を調べている、というのが、私共が持っている事実のすべてです。この資料からだけ、決定的な洞察を引き出さないといけないとしたなら、初めからやらないほうがいいくらいです。しかし、臨床心理士としての訓練をしていると、事実がまだ手に入らないうちに、大きな流れに気付くことができますし、また実際に、気付かざるを得ないものなのですね。臨床心理士としてのトレーニングの最中には、どの時点でも、将来どのようなことになるのか、ということに関して、臨床心理士は見通しを持てますし、見通しが持てなくてはなりません。臨床心理士は、本当かどうか疑わしい資源であっても、一貫した見通しのある仮説が生まれるように、その資料をえり分けられなくてはなりません。この臨床心理士の流儀の妥当性を証明するものは、私共が毎日行っている精神分析の面接ですし、その治療に至るエピソード全体、生きてきた期間全体、あるいは、人生の傾向全体でさえが、治療の危機の中で次第に明らかになる、その明らかになる仕方です。この治療の危機こそ、大事な前進をすることになったり、その後の治療方略を描くのに十分な治療の停滞を来したりします。

 

 

 

 

 臨床心理士の働きの一つが、このハッキリしないことに中に、筋立てを見つけ出すことだろうと思います。なぜならば、人生にはドラマがあり、ドラマには必ず筋があるからです。人間は筋を求める存在のようですね。エリクソンがここでいう臨床心理士の技法も、その筋を見つけ出し、治療に一貫性をもたらしてくれるものなのです。それはまるで、闇の中に光を見つけ出すようなことなのかもしれませんね。

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