エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#現世考 #安倍政治 と #透明な力

2020-03-14 13:34:46 | ハンナ・アーレントの真実
 
#赤ちゃんに息を合わせる秘訣 #十字架のバカの秘密

 #遊びの目的 #心から自由になるため #歯車 #物語にまとめる  現世考: もう1つの証拠  バカ丸出し中  最深欲求に続く道  ≪本当の自分≫という恵みはこ......
 

 

 安倍政治。ウソとゴマカシの政治。宮田光雄先生は,「デマゴギーの政治」と安倍政権の初期からその正体を見破っていました。

 国内産業が衰退し,市民の賃金が下がっていて、生き辛さが蔓延しているのに、

 何兆円もの年金資金を株式市場に突っ込み,官僚の人事権を差配することで、議事録と統計資料を操作して、市民を騙しながら、政権を延命させてきました。

 

 しかしながら、コヴィット19という目に見えないコロナウィルスによって,株価は全面安になり、コヴィット19にかかる人が蔓延して、悲願の東京オリンピックも恐らく中止になるでしょう。

 安倍政権の息もあと何日もつかなぁ、という感じです。

 不思議ですね。

 facebookで、熊本大学名誉教授の入口さんがご指摘下すっている通り、市民の多くは安倍政治に騙されても,コヴィット19は「騙されません」。

 目に見えない透明な力が、安倍政治を終わらせようとしていることに,お笑いです。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み  #いつも楽しく #いつも笑顔で

2020-03-14 12:00:00 | 聖書の言葉から
 
 


 
#聖書の言葉  #単独者の恵み #力がある

 #偽薬効果 #母親からのキスの効果 聖書の言葉: ἐγγίζω 近づく   「神の国」の真実と,その跳びあがるほどの悦び    年寄りの愉しみ 人生の巡り合わせの......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

キリストの言葉

 

この世では

 

心乱されることもありますよ

 

でもね

 

いつも楽しくしてなさい(いつも笑顔で居なさい)

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#自己愛過剰 と #不安過剰

2020-03-14 10:57:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
 



#聖書の言葉  #単独者の恵み #力がある

 #偽薬効果 #母親からのキスの効果 聖書の言葉: ἐγγίζω 近づく   「神の国」の真実と,その跳びあがるほどの悦び    年寄りの愉しみ 人生の巡り合わせの......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.117の,ブランクから。

 今朝は,p.118の,第3パラグラフから。

 

自分が体験した両親と生きる

 

 子ども等は誰でも,お母さんにピッタリとくっついて一心同体に成る生物的な本能があります。なのに,子どもには選択肢が1つもないんです。その子等の両親や育ての親が,心から優しくしてくれて,大事にしてくれるのか? それとも,よそよそしくて,鈍感で,相手をしてくれず,粗末にするのか? によって,その子等は,少なくともいくつかのニーズを手に入れようとして,コッソリと打つやり方を育てることになります。 

 私どもがこのコッソリ打つやり方になりかねない振舞い形を評価し,身に着けて来たのは,2人のアメリカ人科学者,メアリー・アインズワースと、メアリー・メインの業績のおかげです。また,2人の仲間は,何千時間もかけて,お母さんと赤ちゃんの観察を,何年にもわたって,行ったんです。こういった地道な研究に基づいて,エインズワースが作り出したのが,「見慣れたお母さんが居ない場面(ストレンジ・シチュエーション)」と呼ばれる研究法です。それは、赤ちゃんが一時お母さんから離れたときに,赤ちゃんがどのように反応するのかを観る方法です。かつてボールビーが観察したように,安心してお母さんにくっついて一心同体に成った赤ちゃんは,あ母さんが見えないと強い不安に陥りますが,お母さんが戻れば,歓びますし,束の間安心を取り戻すと,落ち着いて遊びに戻ります。

 しかし,安心してくっ付けないせいで,一心同体に成り損ねた赤ちゃんは,その赤ちゃんが描く絵はもっと複雑です。お母さんが振り返ってくれず,見て見ぬふりをする子どもは,不安に処するのに2つの方法を用います。研究者たちが気が付いたのは,いつもイライラしていて,お母さんに対して不満タラタラの子もいれば,おとなしくて,引っ込み思案の子もいる,ということです。どちらの集団も,お母さんと触れ合っても,気持ちを落ち着けることができませんから,安心してお母さんにくっ付いて一心同体に成れた子ども等みたいに,満足して遊びに戻れません。

 1つのパターン,「人を避けることがくっ付く代わりをする」と呼ばれるパターンでは,赤ちゃんは,お母さんを1つも気にしていないように見えます。お母さんが居なくなっても泣きませんし,お母さんが戻ってきても,知らん顔です。しかし,だからと言って,子ども等が,影響避けないんではありません。実際に,子ども等は心拍が速くなりますから,いつも過覚醒なんです。私と仲間たちは,このパターンを,やり取りはあるのに気持ちが1つも籠らないと呼びました。「人を避けることがくっ付く代わりをする」と呼ばれるパターンの赤ちゃんの,お母さんは,たいてい,自分の子どもに触れるのがお嫌いですこの手のお母さんは,赤ちゃんにスリスリしたり,抱っこしたりするのも、気が進みませんし,赤ちゃんと楽しいやり取りを繰り返し作り出す表情や掛け声ができません

 もう1つのパターンでは,「心配」しながらくっくつのと「ぶつかる気持ち」がありながらくっ付くパターンと呼びますが,赤ちゃんは,泣いたり,大声を出したり,しがみついたり、泣き叫んだりして,自分に注意をいつも引こうとします「気持ちがあるのに,やり取りがない」んです。

 

 

 2つ目のパターンの赤ちゃんのお母さんは,最初に比べて,自己愛過剰不安過剰です。

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#人生のハビット と #毎日礼拝を司式する大人

2020-03-14 10:04:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#悪い良心 #悪い習慣 #しつこい

 #聖書の言葉 #1人豊か #創造の秘密 パンデミックである,発達トラウマ障害の場合は,DSM-5は,百害あって一利なし    広島中3年自殺事件は、大川小学校並み......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 今朝は,p.344の,ブランクの後,4行目から。

 

 4 子どもの頃 :あの演劇仕立てとあの形

 

 私がこれまで取り出した毎日礼拝の元は2つです。その2つは,本当の自分を創造発達させる中でキッパリと根付かせました。最初の病因を突き止める「病因論」の視点で見る時,繰り返し申し上げておきたいことは,赤ちゃんの時期と大人の人生のハビット間に単純な因果関係があるということを私が申し上げているわけではない,ということです。それは,大人の様々な毎日礼拝には,特に,子どもが自分の足で自律したいという,目には見えないニーズに応えるという意味がありますから。

 

 

 人生のハビットは,訓練に付き合ってくれる,毎日礼拝を司式してくれる,ウソのない自分を生きる大人が必要です。

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#悪い良心 #逃げ と #ウソ

2020-03-14 08:39:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
 



#創造する人生 #響き合いの人生 #息を合わせる大人になる人生

 #寛容な人生の習慣 #自分から歩み寄る と #攻撃性 聖書の言葉: ἐγγίζω 近づく   「神の国」の真実と,その跳びあがるほどの悦び    年寄りの愉し......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。

    Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から。

  p.46のブランクから。

 今朝は,p.50の,第2パラグラフ,6行目から。

 

 シカゴのシンポジウムで,ルネ・スピッツは,自分とデンバーの仲間たちの最近の観察と考察について報告してくれました。それは赤ちゃんの中で,実感が体得底で最初に生まれる時の,視覚の役割に関する報告でした。視覚のギフトは,他の五感,味覚・聴覚・嗅覚・触覚から得るお知らせを味わう時に最初の役立つことにある,とスピッツは教えてくれました。「視覚は,赤ちゃんが育つ世界,そこはもともと,聖書の神様と共に見る見方が支配的でしたのに,その赤ちゃんが育ちの世界の中に,新しくて,人生を左右する,聖書の神様に背く見方をもたらします。聖書の神様に背く見方のおかげで,その子どもは時間も空間も永遠に続くと思うようになります」。スピッツが言うのには,3か月までの間に,赤ちゃんは見てわかることが育って,一纏まりの景色を覚えていられるまでになる,ということでした。つまり,その赤ちゃんが見た景色が,いまここで,口が満足したことや五感が満足した,生かされている歓びと一体となって,いつまでも続きます,ということでした。つまり,赤ちゃんが目で掴み取った様々な景色は,口周りや五感が満足して,赤ちゃんが実感した生かされている歓びと一体となり,いつまでも続く,という理に適っていますし,聖書の神様の生き方にも適って,不動にされた,その判断には,聖書の神様からの力があるのです。赤ちゃんが実感した生かされている歓びは,おっぱいをもらうこと,抱っこしてもらうこと,肌と肌が触れ合っていること,お尻をサッパリにしてもらうこと,「聖書の神様のいのちが一巡する結界にピッタリとはまり込むこと」からくるんです。このように,様々な場面でお母さんが赤ちゃんよりも下に立ってくれるお陰で,お母さんの顔は,赤ちゃんの探している2つの眼に「光をプレゼントする」ことになります。そのようにして,その母親も,私は私の赤ちゃんの「聖書の神様のいのちが一巡する結界」にピッタリな最初の相手になれた,と腑に落ちることができます。それに,赤ちゃんが2つの眼を見開いておっぱいを飲むと,オッパイをしゃぶりながら,お母さんの顔をじっと見つめるものでしょ。このようにして,赤ちゃんが眼にしたものが,感覚とアタッチメントの場を纏めるために、出す時だけでなく受け容れる時に道しるべになる最大の物差しになります。その最大の物差しは,赤ちゃんが「1人のお母さん」と触れ合うことによってメモリがつけられているんですから。これがなるほど本当だと信頼するには,視覚によって確かになるものを数えあげるだけで足りるでしょう。時間が同じである物事と,同じ空間が続いていること,ずっと残るのは聖書の神様に心から歓んで従うことですし,共に居ることが溢れるほどの恵みであると心底分かること,身近に見える姿と背後にある違いを超えた一体感,パートナーが不動にされ自由にされる結界の中で,ピッタリの人が,パートナーの息に自分の息を合わせると,一心同体に成れることにこの世を超えて感動すること,これら全てが一体になるのは,聖書の神様みたいに「とっても善いよ」と認める人が,願った時にはいつでも共に居てくれることで、初めて実現します。これは,のちのち,単なる事実を包み込む「なるほど本当だね」と実感する実感の大元になります。まもなく,聴く力が不可欠で役立つ力になるのは,自然の成り行きです。それは,眼には見えいな世界のことを教えてくれるからですし,聴く力は,「曲がり角の先」からあの嬉しい声が聴こえてきますし,馴染んだお母さんを確かめることができますよ,という希望を強めてくれます赤ちゃんの時期に,お母さんの姿が見えるし,お母さんのの声が聴こえるという,母親を二重に徹底的に心いっぱいに味わうことが,いつも大事だと分かるのは,お母さんが赤ちゃんを唯一の名となる呼び名で声を出して何度でも「繰り返し善しと認める」ことになるのと同時に,名付けたお母さんが,赤ちゃんを認めてくれる人として赤ちゃんから繰り返し善しと認められることを心から歓ぶからです。(訳注:エリクソンの奥様)ジョアン・エリクソンが言うように,「人生は,眼差しによって,繰り返し,始まります。…触れ合いが心から大切にすることになるのも,バラバラでいると激しい怒りになるのも,眼差しと関係します。大人になっても,このように眼差しが物を言うことに変わりはありません。と申しますのも,生涯にわたって,私ども人間が仲間内で他者といろいろとやり取りするのは,眼差しに温もりがあるからでしょ。お母さんから見られることに始まる眼差しは,恵みですし,同時に,呪いです」。

 知ることと実感が一体で育つこの場では,眼差しの力は,申し上げて来た2つの意味でハッキリと現れます。つまり,事実だと分かったことを完熟した五感を用いて,あらかじめ善く理解すること,しかし,そればかりではなくて,十分に繰り返してもらったと分かったことは,もう一度手に入ると信頼することです。

 それにしても,こういうこと全ての遊びに何の関係があるんでしょうか? ヘインツ・ワーナー・レクチャ―で,ブルーナーが述べたことは「赤ちゃんは,感覚器官を通じて,感覚器官を使って,感覚器官を使って動かす力をはるかに超えた心の習慣を生み出します」ということでした。その結果「最初に関わってくれた人と一緒にならなくても,赤ちゃんは長い間その人を良く見ていますから,その場になれば,おのずと,最初に関わってくれた人の関わり方に身を入れることになります」って。眼差しが一番大切なことをスピッツが強烈に主張してくれたおかげで、私は,ブルーナーが魂に火を点ける苦心の実験を描いてみましょう。すなわち,生後半年の赤ちゃんは,おっぱいを吸う力と結びついていますから,おっぱいを吸う力は,聖書の神様のいのちが一巡する場になるか否かで,寝ぼけた絵か,ありがとうと言いたくなる絵を,母親の顔に書くことになります。ブルーナーは「人間は赤ちゃんの時から,善い相手を見ると,見ることに集中して,ハッキリと見えますから,おっぱいを吸うのを忘れるほどですから,新生児が心底求めるニーズは,パンや慰めを求めるニーズだけじゃないことが分かります」と話を纏めます。

 自明の理として申し上げるのは,赤ちゃんが五感,特に眼差しを使ってめぐり探している,ということですし,繰り返し見失って繰り返し見つけた相手を繰り返し大切に思うことが,「2人が夢中になる」最初の大切な関わりになる,ということです(この「2人が夢中になる」最初の大切な関わりは,いないいないばあっ みたいな遊びになります)。この「2人が夢中になる」最初の大切な関わりは,笑顔の王冠で輝いています。それは,生後12週で,お母さんの顔という「天国の印が顕現する場」に立たされてハッとするからこその,輝く笑顔の王冠です。もちろん,赤ちゃんの輝く笑顔の王冠そのものが,お母さんが子どもに気付き,心から大切にしたいと思う(recognitionのあらゆる意味で)点で,唯一無二の誘い水になります。自由な大人になった者が子どもに気付き,心から大切にしたいと思うのは,新生した者だけがもたらしうる思いです。なぜならば,輝く笑顔の子は,その笑顔に接した大人が,自分が聖書の神様のいのちが一巡する中にあり,新生した、と実感することに役立つ力がありますから。

 そして,いつものようにピアジェさんの登場です。(訳注:ピアジェさんの代表作)『子どもの中に実感を育てること』の冒頭で,「ずっと残るものからできている世界は,…死と再生を繰り返すことなく,因果の法則に従う時空です。ですからね,世界は,確かに外にある,唯一の世界になりますし,その外なる世界の中で,あらゆる言葉がある中で,人は自分をのことを固有名詞で呼びます」とピアジェさんは言います。是非心に刻んでおいてほしいことは,理性の塊であるピアジェさんの議論の真ん中に,「死」と「再生」という実存的な言葉が不意に見つかることです。私ども夫婦は,これを最大限生かしましょうね。と申しますのも,赤ちゃんのことで描き出していることは,人間が自分のスピリットをイキイキと生かしたいと願うのは人間の最深欲求からだ,と私は信じているからなんです。あるいは,もっと創造的に申し上げれば、私どもが見て「手で触れる」ようになった事実に意味をもたらす実感にとって,キリストの「死」と「再生」は,根っこにあることです。心にどんなイメージを抱くかという心の習慣にとっても、キリストの「死」と「再生」が根っこにあります。このキリストの「死」と「再生」が根っことなった心の習慣のおかげで,人間は,全ての創造発達の舞台,すなわち,生涯にわたって,聖書の神様の心から優しい思し召し通りに創造発達する中で,シャローム心からの平和を,繰り返し確実に実感することができます。つまり,爪弾きにされ,相手にもされずにいるよりも,生かされている実感が胸いっぱいに満たされる中で生きたいのです。自分から人に関われず、助けてももらえないのでなく,自分から人を大切にする関わりができて,それを遂げることができます自分だけ特別に見守られているのであって,感覚過敏になったり,無感覚になったりするんじゃない。中でも,試練を乗り越えて,生かされている実感が漲って生きるんであって,見て見ぬふりをされて,見捨てられるんじゃぁありません。これら全ての兆しは,あの生かされている実感が漲る意識の,朧げな始まりです。あの生かされている実感が漲る意識は,どの言葉でも,《私》と呼ぶようになりますし,あらゆる宗教では,神様から「とても善いよ」と言われる,いのちが一巡するど真ん中(訳注:救い主,キリスト)を求めることにもなります。ですからね,顔と顔を合わせることが,ルネ・スピッツやジョアン・エリクソンが指摘している様に,宗教的なイメージ(聖母マリアが首を傾げて、幼子のキリストと一心同体に成った光みたいに)を思い出させるものであるのならば,顔と顔を合わせることそのものが,聖書の神様を信頼する自分が創造される基になる,と言えますよね。聖書の神様を信頼するとは,唯一の聖書の神様がギフトして下さる「生かされている実感が漲り,生きているって素晴らしいと実感する私」の恵みで,こころの中心軸にある本当の自分が「とても善い」と認められることを信頼することです。唯一の聖書の神様がギフトして下さる「生かされている実感が漲り,生きているって素晴らしいと実感する私」の恵みは,人がカリスマ的な指導者を求める源にもなりますし,運命を左右することにもなります。

 2人の魂が一心同体に成る点から申し上げて,私が自明のこととと考えていることを申し上げれば,希望の根っこは,赤ちゃんの時期に,あ母さんを信頼する根源的信頼と,お母さんが当てにできない根源的不信の間で,2人が根源的な苦労をすることからしか生まれませんよ、ということなんです。それから,この苦労は,その後の苦労全てと同様に,生涯を通して繰り返し,自分を心から自由にすることになる,ということです。それじゃあ,ピアジェが言う「死」って,一体何なんでしょうね? 馴染めないことは根っから信頼できないこと,ソッポを向くお母さんの顔に身も凍る思いをすること,子どもを避けるお母さんやウソつきのお母さんを怖がったり,腹が煮えくり返るほど激しく怒ったりすること…って,一体何なんでしょうか?  

 

 

 悪い良心には,ウソがつきものです。

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