エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#最高の退行 #自分宛ての手紙

2020-08-09 08:52:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#アーメンお母さん は #神秘的な歓びの楽器

 #創造物語 #自分が生きている実感通りにやる原理 #身に沁みる体験知 #真実が理解されるまでには長い時間がかかる #真実を捻じ曲げる得をしたい専門家たち   ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 p.124,ブランク後の,発達トラウマ障害治療の核心部分の,2度目の翻訳も修了。

 p.240の第3パラグラフから。

 

 

退歩する方法はいろいろあります。

一番善いのは,自分宛ての手紙を書くことです。

 

 

 自分の気持ちを文字にして,自分でも確かめられるようにする。

 それは主観が客観化する初め,受け身が能動化する初めになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#聖書の言葉 #単独者の恵み #心根の自由

2020-08-09 08:00:05 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #聖書の神様のいのち

 #聖書の言葉 #1人豊か #めはな   マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。   メハナ をつけて こどもたちに あそんで もらいたい ...>続きを読む......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia
をご参照ください。



生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ジェームズ・フーストン James M. Houston さんの言葉からも

 

 

私がいつも

 

思い出すのは

 

初めて感じた

 

心根の自由です

 

その心根の自由

 

 

神のみ前の人間の条件

 

についてキルケゴール

 

が書いていること

 

 

読み始めたころに感じました

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#聖書の言葉 #単独者の恵み #人の気持ちが分かる元

2020-08-09 07:26:11 | 聖書の言葉から
 
#発達トラウマ障害 #本音 が #関わり方に出る病

 #レイプされても何も感じない脳  #生きている実感を押し殺す高い代価 #発達トラウマ障害 現世考 : #大江健三郎さんの予言 #施設収容という非人間的な考え方が大......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia
をご参照ください。



生きているのに
死んでいるあなたへ



今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から

 

 

感謝感激感動すれば

 

人の気持ちも分かる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#心の嵐

2020-08-09 05:03:20 | エリクソンの発達臨床心理
 
#アーメンお母さん は #神秘的な歓びの楽器

 #創造物語 #自分が生きている実感通りにやる原理 #身に沁みる体験知 #真実が理解されるまでには長い時間がかかる #真実を捻じ曲げる得をしたい専門家たち   ......
 

 

「発達トラウマ障害  Enpedia」
 
  をご参照ください。

 

 Childhood and Society から。p.61の第3パラグラフから。

 今朝は,p.64,第4パラグラフから。

 

 

 たとえば,依存症の人たちは,赤ちゃんだったころの自分がしたみたいに,身体も満たされ,気持ちも元気になる様々な物を、口と肌で,取り入れて,その物と一体になることに依存しています。ところが,依存症の人たちは、喉から手が出る程,赤ちゃん返りを願っている、なんてことにはひとつも気付きません。依存症の人たちが,駄々をこね、鼻持ちならないことを自慢し、文句を付けるほど、それとは裏腹に,赤ん坊じみた魂が、ハッキリと表に出るだけなんですけどね。

 逆に,双極性障害(躁鬱病)の患者さん達は,何の望みもなく,空っぽで,物で満たすこともありません。つまり,ぶち壊しにしなければ,と思うような,悪い者や敵で満たすこともありません。あるいは,不意に良い気分が充満しますから,力が湧いてきて,元気モリモリになる気分が際限なく広がって,「そこまでにしておいて」という人の意見を受け付けなくなります。しかし,躁鬱病の人は,下に立つキリストも知らなけれは,良くも悪くも内的促しがどこから生まれてくるのかも知りません。

 ヒステリーの人達は,もしも,女性であれば,まるで,奇妙に物に付け込まれ,攻撃され,拒まれているようなのに,しかも,物に取りつかれているようでもあります。子どもを孕んだこともないのに,分析してみると,その女性が当て買われた最初の役目を示す出来事を孕んでいるんです。ヒステリーの人はその最初の女(男)性の役割に取りつかれているんですが,ただし(なぜなら),その最初の性役割は,はるか昔の子どもの頃にある,受け止めきれない体験になっています(から)

 こういったとても辛い思いをしている人達全ては,それが依存症でも,うつ病でも,気持ちを言葉にできない人でも,幼い頃のどこかの時を生かすことができませんから,幼稚な真似から自分を守ることになりますが,その守り方は頑固で,骨折りで,結局はうまく生きません。

 たほう,繰り返し押さえつけて,お務めをさぼる道を外れて病んだ,それぞれの人には,真実な関係を外れるのに相応しい共通の悪い相手がいます。元々の赤ちゃんの時のパターンからはかけ離れているけれども、口で感じた刺激か,口に貰った刺激から感じ取った性的に完璧に満足する喜びを得ようとする大人がいますでしょ。自分がセックスする時に入れる穴の中で,お尻好きの人も居ますでしょ。それに,性器を覗いたり,自分の性器を見せびらかしたりしたい罰当たりも居ますしね。また,衝動的に,しかも,手当たり次第に,他の人間を,単にイジメる「嬲り者」にするためだけの存在にするために,性器を使いたい輩も居ます。

 心病む人が無意識に望む性行為と 道を外れた者たちがあから様にやる行為の間に,相補的な関係があることを少なくとも理解していたので,フロイトさんは,スピリチュアルなエネルギーの宮を立ち上げることに前進したのです。ですからね,「スピリチュアルなエネルギーであるリビドー」は,半人前の2分の1エネルギーでして,この半人前の2分の1エネルギーは,子どもの時期に,性器以外の身体の周りにあって,食べ物を口に入れたり,お腹の調子を整えたり,手足を動かしたりすると,聖書の神様のいのちの分け前を、その時特有の気高い歓びで,気高い一人前のシャローム平和の歓びにしてくれます。半人前の2分の1エネルギーのリビドーを,子どもを作ることができない時期に,用いた後になって初めて,子どもの半人前の2分の1性は,ささやかないのちが息づく子どもの創造性へと,上手に発展していきます。ささやかないのちが息づく子どもの創造性が,すぐに大なり小なり,《目には見えない》ようになりますし,形も変わりますし,捻じ曲がってしまいます。と申しますのも,子どもの創造力は,まだ半人前だからです。それで,半人前の2分の1の願いの最初に相手をしたモノは,近親相姦禁止という世界の定めのゆえに,永遠に禁じられてしまっています。

 子どもができるようになる前にあった願いの残り物については,全ての子育ては,ある程度まで,創造するわけではない,2分の1遊びを許してくれますが,この2分の1遊び背いた迷いと呼ばれます。ただし,2分の1遊びが,創造主である聖書の神様の支配(訳注:聖書の神様のいのちが一巡する結界)をハイジャックし,追い出してしまいがちです。子どもを産めるようになる前のスピリチュアルなエネルギーであるリビドーの大部分は,しかしながら,「気高くされ」ます。すなわち,半人前の目的から一人前の目的に回心します。身体の中に隠されている「お母さんの本音」に敏感な子どものアンテナの割り当ては,人が教えや試練の “間” の下に跪きたいと願う願いを強めてくれます。あるいは,子どもは「英知の乳」を吸収するのに熱心ですし,その「英知の乳」にあっては,もっと本音に敏感な大人の器から,「なるほど本物だ」と,人智を超えているのに,手に取って分かるスピリットを頂きたいと願ったんです。あるいは,また,子どもは,自分の腹に詰め込みすぎる代わりに,心から優しい聖書の神様の器(訳注:)の中で,心から優しい出会いを1つにしてシャローム平和にしてくださいと祈っているんです。子どもができるようになる前の身体の時期は,発達し,気高くなり,あるいは,2分の1遊びを入ってもいいと認められるんではなくて,押さえつけられている心の向きの中に,フロイトさんは,生きる元気が萎む一番重たい源を見て取りました。

 もちろん,一番上手に子どもを気高くすることが,子育ての心の向きの割り当てですし,子育ての1つなんですが,1人から始まるものと思われません。1人が夢中になることが,血を流すほどの努力,賛成する人がほとんどいないこと,本気の3つを伴う場合だけ,大人の中にも,子どもが夢中になる時にある「断ち物」の元が「なるほど本当にあるなぁ」と分かります。この点で,子どもを気高くすることは,離れ離れに成るギリギリの崖っぷちにあるものです。ですからね,子どもを気高くすることは,初めは恐らく物足りない感じです。ここでこそ,フロイトさんは,ヒーラーとして,ヴィクトリア朝の批判者になりました。フロイトさんが結論として言ったのは,共に暮らす者達は,あまりにも盲目的に独裁的に,自分の子ども等に対して,気高くなるという,とてもできない偉業を強要する,という事でした。大事な半人前エネルギーは,聖書の神様からのギフトの一人前の生かされている実感に気高く成ることが出来ますし,気高くなる予定だ,という事は真実です。共に暮らす親達サンガ(エクレシア,互いに大切にし合う仲間)になるかは,半人前エネルギーが聖書の神様からのギフトの一人前の生かされている実感に気高く成ること次第です。ですからね,共に暮らす親たちの物は元に暮らす親たちに返しなさい、でしょう。しかし,最初にすべきは,人を大切にするあの聖書の神様の晴れ晴れとしたいのちは子どもに返しなさい でしょう。人を大切にするあの聖書の神様のいのちは,聖書の神様のいのちが一巡する関わりを始めて子どもを気高くなることが出来ますから。

 心の病から,日ごろからあるムラ気まで右往左往する異常に苦しんでいる者だけが,自分が聖書の神様から実は大事にされていること,半分に分けられた働きも「善し」とされて感動して,内的に促されることに気付いたおかげで,2つを1つにする聖書の神様の煌めく光が,闇に退歩することの中で一巡することの価値体得底で分かります。聖書の神様から大事にされること,半分に分けられた働きも「善し」とされて感動して,内的に促されることに気付くことは,人間のやることを「最低」にするのに役立つだけでなく,「最高」にするのにも貢献します。多くの場合,人間のやることを,同時に「最低」でしかも「最高」にするのに役立ちますよ。

 しかし,理論上の課題,用語上の課題も解決されるべく将来にわたって残っています。スピリットを学ぶ中で真実に助けになるお母さんに集中する決心をする中で,フロイトさんが見つけたのが,人類が半分にバラバラにされていることを再発見することこそ,果たすべき一番大事なお務めだ,という事でしたね。人類が半分にバラバラにされていることを再発見することこそ,果たすべき一番大事なお務めだとする所では,絆が大きく侵されているところに一体感を回復しなくてはなりませんでしょ。しかも,崖っぷちを語り合うことで。崖っぷちを語り合いますと,不思議なことですが,古代の英知といまの思いが混じります。「ヒステリア」という言葉を取り上げてみましょうね。ギリシャ人は,その昔,女性のヒステリーは,子宮が泣きながら漂っていることから生じる,と考えていました。つまり,子宮が身体を求めてさ迷っているんです,あっちで苦しい思いをしたり,こっちでつっかえたりしながら。もちろん,フロイトさんにとっては,子宮って,創造する元型ですから,生殖器官ではありません。創造する元型である子宮は,その創造の目的から逸れてしまったら,創造するために使われる心からの優しさを態度で示すリビドーは力を発揮できなくなります(寒々とします)。心からの優しさを態度で示すリビドー聖書の神様の創造から横道に逸れて,的外れに穿き違えていますと,それは,幼稚なところと幼稚な振舞いにいつまでも従うことになります。ですから,息苦しさが示しているかもしれないのは,身を守るために何かを天に吐き出すことがありますよ創造を押さえつけて心貧しくならないでね,という事でしょう。心からの優しさを態度で示すリビドーが創造から尻込みする気持ちを話すことは他のところで自ずから明らかですが,フロイトさんは当時熱を帯びた言葉,つまり,エネルギーに満ちて,そのエネルギーを伝染させる言葉を用いました。その結果,熱を帯びた言葉って,たいていが下に立つ生き方聖書の神様のいのちを生かす唯一の生き方になる予定になっているんですよ。下に立つ生き方は,「共に育て合いましょうよ」と呼びかけ合うことになりますから,共に育て合うことが自由で不動であることを,礼拝も試練も改めて確かめようともしませんよ。

 偉大な改革者は,その時代にピッタリの言葉と譬えで語るのが世の常ですが,フロイトさんも自身が「夢物語」と呼んだものを真正面から受け止め相手にする勇気を持っていなければなりませんでした。真理の聖書の神様に見守られていますと,その人が最初に唱えたお祈りが晴れ晴れと実現します

 フロイトさんは,心からの優しさを態度で示すリビドーによって,ジョージ・スチュアートさんが嵐を小説にしたことと似ている様に,私は感じています。彼は,小説『嵐』の中で、大水を物語の柱にしました。スチュワートさんは,聖書の神様のいのちが一巡することと自然の出来事の一回性を同列に描きました。それはまるで,この世やこの世で育った人が存在するのは,あの嵐が大歓びするためだ,と言いたげです。あの嵐が大歓びしますと、内外で起こる手に余る出来事という嵐の中に,キラキラと光が煌めくのを善く見る視座を豊かにしてくれます。魂を自由にした人たち(訳注:フロイトさんたち)の初期も,人間の内的促しは,心からの優しさを態度で示すリビドー最深欲求にある心根だ,とキッパリと言ったでしょ。共依存になっている小我は,防風林か,脆い地層にすぎず,最深欲求にある心根である心からの優しさを態度で示すリビドーと,自分勝手で敵意に満ちた世間の常識という「外面だけが良くなる場」である曖昧な周りとを,上手に仕切れません。

 しかし,医者のフロイトさんは,作家のジョージ・スチュアートさんよりも上を行っています。フロイトさんは,初めて一体にもなり,ハッキリと示しもした,様々な心の嵐を善く善く調べて,病んだところから打ち勝つことが出来ましたから。

 

 

 心の嵐の中では,うろたえるばかりなり,でしょう

 その心の嵐も,よくよく見て見ますと,嵐の中にも善さがあることに気付くようになります。すると生きるはキリストを生きるとことが出来ます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#人生の無意味 と #生きる手応え #生かされている歓び

2020-08-09 03:57:59 | エリクソンの発達臨床心理
 
#光の声 と #加藤周一さん

 #お尻の穴の躾 #機械化時代の厳格な理想 #陽気で楽しいというスピリット  #陽気で楽しいの実力      発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。aga......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。

 今朝からは,第4節「毎日礼拝の復権」の途中,P.116の第3パラグラフから。

 

 



 毎日礼拝があまり役に立たないなどという様々な疑問全てに関して,1つだけ言わせてくださいね。私が申し上げたいことは,かつてないほど全人類を巻き込み,とても危ういバクチにもなるかもしれい見通しのない中で,今日の工業化した文明が試みている様々な生き方を探し出すこと,すなわち,人間の赤ちゃんの時期を,大人同士の関係の在り方と共に,毎日礼拝に改めてすることです。

 

 

 鋭いですね。西村秀夫先生が,欧米を回ってきて,多くの若者が「人生の無意味 meaninglessness」を嘆いている事に心を痛めて帰国されたのが,1970年代は前半だったと聞いています。次男の泰さんが亡くなる前ですから、1970年か1971年でしょう。ちょうど、エリクソンのこの本がでた1970年と重なる時期です。

 人間が機械の部品みたいに,工業化社会が進展し,いのちの全体性を発揮することが困難になった時代です。洋の東西を問わず,工業化社会では,「人生の無意味」「時代の課題」になっていた頃でしょう。

 その後の西村先生は,札幌の小山内美智子さんらと出会い,「札幌イチゴ会」の運動を展開する中が「生きる手応え」を見出すに至ります。

 エリクソンは,赤ちゃんの頃を礼拝にする時,「キリストの恵みのお陰で生かされている人生が気高い歓びを滲み出す」ことを「発見」したのでした。

 貴方はどうしますか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする