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#聖書の言葉 #1人豊か #ありがとさんな マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。 おひさま おはよ! ありがとさん!...>続きを読む ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
第4節「毎日礼拝の復権」の途中,P.116の第3パラグラフから。
今朝は,その9行目から。
毎日礼拝があまり役に立たないなどという様々な疑問全てに関して,2つだけ言わせてくださいね。私が申し上げたいことは,第1に、かつてないほど全人類を巻き込み,とても危ういバクチにもなるかもしれい見通しも定かではない中で,今日の工業化した文明が試みている様々な生き方を探し出すこと,すなわち,人間の赤ちゃんの時期を,改めて毎日礼拝にすることが大事だ,ということです。第2に,大人同士の関係の在り方も,さまざまな学問を巻き込んだ研究が必要になることでしょう,という事も申し上げたいのです。しかし,(訳注:もう1つ)申し上げたいのは,1960年代の若者達のバラバラな反乱の中には,聖書の神様の,イキイキ晴れ晴れとしたいのちが一巡する,毎日礼拝を復権させたいという,世にも重大な問いかけが,結界の中で,問われていた,という事です。この若者たちの纏まらない反乱は,全てのカウンターカルチャー同様に,「人を想う気持ち」が失われてしまったことと,指導者たちが「人を想う気持ち」が失われてしまったことなど,官房長官の菅さんみたいに「当たりません」と言って,若者達と同じ立ち位置に立ってくれないこととに対する,深い悲しみを示しています
俳優の高倉健さん。本当のことを目指して生きていた俳優さんだったと私は考えています。それは,高倉さんがあるインタヴューの中で,「お金やモノでは感動は得られない。人を想うこと以上に美しいものはない」と熱く語っていた時に感じた思いでした。
「人を想う気持ち」は,何とか仲間になりたい,相手のためになることを少しでもしたい,という気持ちでしょ。お互いにそういう想いになれば,そのこそ,シャローム平和を実現することになりますでしょ。