エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

シモーヌ・ヴェイユの「教育」 壺に油のご用意を!

2016-01-12 07:31:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
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 教育は、教育原理の授業で、educatio エデュカティオ すなわち、「引き出す」ことだと必ず習います。ですから、教員で、「初耳です」という人はいないはずです。教育は、子どもや大人が内在しているポテンシャルを引き出すことです。

 ところが、何事でも、「言うは易し、行うは難し」なのでしょう。今のニッポンの学校で、エデュカティオを文字通りやることは難しい。文科省が「学習指導要領」で教員たちのやることを縛ってますでしょ。それから、教員には、教えたがりが多い感じ。金森俊朗さんのような、あるいは、林竹二みたいに、子どもの言葉にならない言葉に耳を傾けるタイプは、そもそも少数派です。いきおい、教育する側も、詰め込むことが「教育」だとばかりに、日々を過ごす方が多数派になりがちです。

 その点、私は教育に関する視点がピッタリ合うのが、シモーヌ・ヴェイユなんですね。『根をもつこと』(春秋社版、p.256)の中で、シモーヌ・ヴェイユは次のように言っています。「教育 éducation エデュカシオン は…原動力を生まれさせることにある有利とされるもの、義務とされるもの、善とされるものを指し示すのは、訓練 entraînement アンセーニュマン の役目である。教育は、効果的な実践のための原動力を受け持つ。なぜなら、いかなる行動もそれに必要量のエネルギーを供給しうる原動力なしにはおこなわれないからである。

 他人であれ、自己自身であれ ―ただ方向だけを指示するにとどめ、それに見合った原動力を確保するように留意することなく、しかもそのうえで人間という被造物を善に向かわせようと欲するのは、アクセルを踏むだけでガソリンの入っていない自動車を動かそうとするにひとしい」と。

 私はセラピーを通じて、この原動力をプレゼントできたらいいなぁ、といつでも考えています。こころのガソリンをプレゼントしたいなぁと願っています。

 

 そうして、シモーヌ・ヴェイユは次の聖句(マタイによる福音書 第25章3節~4節)を紹介してくれていますよ。

「愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油を用意していなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた

 

 皆様も、壺に油をご用意くださいね。

 

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