「夢のスクリーン」、いかがでしたでしょうか?夢も集団のヴィジョンの影響を受けやすいけれども、たほう、患者のヴィジョンは、集団のヴィジョンを超越する新しい人間を示すヴィジョンたりうることに、ハッとさせられる思いです。
さて、今日からは、第三章 「『共に見る』ヴィジョン」 第3節 「アインシュタインのパズル」に入ります。
ガーランド・ホールトンは、最近の著書の中で、あの重要な理論の構築者、アルバート・アインシュタインの業績では、視覚化することがとっても大事だった、と私どもに教えています。私どもの関心をひかずにおかないのは、アインシュタインが子どもの頃、熱心にブロックを組立てて、ジクソー・パズルを組み合わせていた、ということです。ホールトンが報告しているところによれば、「4才が5才の頃、アインシュタインは、彼が「不思議なこと」と呼んだことを経験したことは、よく知られています。その時、父親が彼に磁石のコンパスを見せたのでした。それは、アインシュタインが繰り返し言及した経験でした」ということです。真の意味で、それこそ、彼にとっては、おもちゃだったのです。
若いころアインシュタインがギムナジウムで、それは昔の高等学校のようなものですが、外国語を落第した事実を、ホールトンが大事にしたことは当を得たことです。それは、1895年にチューリッヒ工科大学の入試に失敗し、学校に戻らなければならなかった時のことです。その時になって初めて、アインシュタインは1つの学校を見つけ出しました。その学校は偉大なペスタロッチによっておおよそ100年前に設立され、ペスタロッチのヴィジョンを未だに文化的に継承していたのでした。ペスタロッチの教育原理は、Anschauung(ドイツ語で「直観」)、すなわち、私的な、それでいて、体系的な「ものの見方」が、すべての学びの絶対的な基礎である、ということでした。それで、「すべてが、どういうわけか、アインシュタインにとって、変わったのでした」。それは、一方では、最後的には相対性理論まで至る、彼の考え方を励ますものでしたし、また他方では、友情の良さに彼が気付くことにもなったのでした。ホールトンは次のように結論を言います。
想像力の対象は、アインシュタインにとっては、明らかに、説得力のある形で、リアルな感じのある、目に見える素材でした。その素材を、彼は、自発的に、しかも、陽気で楽しく、こころに思い浮かべ、組み合わせることができました。たとえて言えば、それは多分、まるでジクソー・パズルの形と遊んでいるようなものだったのです。キーワードはBild(image イメージ)とSpiel(play 遊び)です。そして、いったんこの2つの言葉に注意が向けば、アインシュタインの著作にこの2つの言葉がビックリするくらいたくさんあることに気付きます。
厳密科学の中心である物理学の大学者、アインシュタインが、遊びとイメージを大事にしていたことは、実に面白いことですね。前節の終わりで、エリクソンが、「厳密科学においてさえ、遊びとヴィジョンの役割がいかに大事か」と言っていたことそのものが、早くもここで示されたわけです。遊びには、確かに、自発的で、陽気で楽しい、が必ずあります。しかし、遊びと見ることが、なぜこれほど真理を明らかにするときに、大きな役割を果たすのか? それが不思議でなりません。
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