「自分の感じ」。初めて聞くようで、それでいて、日常的に使っている感じもする言葉でしょ。これは日頃あまり意識してない方が普通ですから、ご安心を。「自分の感じ」とは、意識から無意識に合い亘り、しかも、無意識の部分の方がはるかに大きいからです。ですから、あまり言葉にできないもので、そのくせ、よくよく考えたら大事な体感なんですね。「腑に落ちる」というときの「腑」=内臓に関わる体感です。その体感に正直で、その体感を自分を方向づけする時の法則とするのがオートノミーです。それができないと感じるのが、シェイム・アンド・ダウトです。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p78の5行目途中から。
前の舞台と後ろの舞台の間にあるこの舞台の位置取りにまた注目する時、initiative イニシアティブ、「やり取りの中で、自分の感じに従って、行動を起こしても良い感じ」として描いたことが育つのは、肛門や筋肉を自分でコントロールしたり、「自分でコントロール出来るんだ」と感じたりする舞台へ、口で感じている舞台から、キッパリと飛び移って、初めてできることでしょう。私どもが今まで申し上げてきたのは、子どもが、わがままに囚われたり、大人の言いなりになったりする間を、あっちに行ったり、こっちに行ったり、いかにするのか、ということでしたね。つまり、その子どもは、ある時には、とても独立的に活動することもあれば、また別の時には、「言いつけを守らなきゃぁ」とばかりに、いっそう大人に依存的になることもあります。この2つの傾向にバランスをとる時、意志の赤ちゃんの力が、自由に「自分で決める」ことと「ガマンすること」とを、両方とも育てることに役立つことになります。
エリクソンが教えてくれることって、本当に具体的でしょ。子どもに大人がいうことの中では、「自分のことは自分で決めなさい(自分でやりなさい)」と「ガマンしなさい」が、結構上位にくるのじゃぁないかしらね。「自分で決める」と「ガマン」の境が、いつもハッキリとしていれば、良いのですが、その境がぶれることが、親子喧嘩、子どもと大人のトラブルのもとになることがとっても多い。「おかあさん、昨日は良いと言ったのに、今日はダメって言うんだぁ!」。子どもに一度くらい? 言われたことがあるのじゃぁないかしら? それは「その境が、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちと同じくらい、ブレてますよ!」ということ。
意志の力がまだまだ赤ちゃんの時には、関わる大人がこの境をハッキリと示し、守って差し上げることが、子どもが自分のことを自分で決めて、自分でできるようになる時の、必要不可欠な条件になります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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