現代、現在にも、様々な迷信があることがわかります。そして、太古の迷信同様に、自分がよくわからないこと(原発事故の現状、税金の使い道、政治における意思決定過程など)に対する不安を、この迷信が和らげる、誤魔化される機能を持っていることも変わりません。
世間は決して完全に悪霊にゆだねられているわけではないのです。人間と世間のアングラの間に、悪魔のようなブローカーがたくさんいればいるほど、それだけ、人と天国の間を繋ぐお祈りも増えます。天使と聖者たち、天なる叔母たちと天なる叔父たちは、近づきがたい三位一体の神と比べれば、遥かに人間的ですし、近づきやすいし、分かりやすいのです。どんな人でも、自分の天使がいるように、どんな病気や不幸にも、それに応じた聖人がいて、不思議なのですが、自分で治せる、まさにその病気をこしらえるのです。それは、ますます競争が激しくなる市場で自分自身の立場を維持するためなのかもしれません。というのも、おしなべてすべての聖人には、別々の祭壇があるからでして、そこでは、聖人たちの治療が高い値で売れるからです。鉱山主にも、いろいろ助けてくれる聖人が一人いました。聖アンは、神の母の母でして、ハンスの神(Abgott)でしたし、マルティンの神(Abgott)でもありました。神(Abgott)とは、奇妙な言葉ですが、それは、「偶像」を示す言葉だからですし、カトリックの地域社会の中にある、お堅い教会の、聖人のお堅いイメージを派手に盲信する、しつこい傾向を示します。また、宗教が持つ安心感をその道の専門家に任せることにもなります。聖アンは、鉱山主の健康を見守ってくれますし、不慮の事故から守ってもくれます。しかし、聖アンが「特にいとしいのは、空手ではやってこないからですし、素晴らしい富とお金を持ってきてくれるからです」。私どもは、マルティンが啓示的な決断をするときにも聖アンの声を聴くことになります。
中世には、迷信をもたらす様々な聖人がいたみたいですね。「家内安全」「商売繁盛」など、まるで日本の、厄除け大師や初詣の神社のようですね。
現在、迷信をもたらすのはもっぱらマスメディアと「学校(特に、小学校と中学校)」だと私は考えます。
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