臨床家は、まず第一に、クライアント「と共に」、クライアント「のために」臨床をしていくのですね。それは、その昔、昔の言い方では「教護院」、現在の呼び名では、「児童自立支援施設」国立武蔵野学院、元院長の大谷先生は、それを「withの精神」と呼んでおられましたね。
pp229の下から12行目途中から。
臨床の原理は、何も、死体解剖によって学ぶことがあることや、動物でも、人でも、その体の限られた一部を実験のために役立てることを、否定したりはしませんよ。対人関係から生まれる進歩を携えたものである、こういった大事なやり取りを研究するために、あるいはまた、将来責任を取らなくてはならない大事なやり取りのためには、観察する決められた単位は、世代間であって、個人ではあってはなりません。一個の動物、一個の人間が、命の糧を食べるかどうかは、人生を、その本質的な形て、次世代に手渡すことができる能力を含むような観察によってのみ、分かるんですね。
これは、非常大事な指摘ですね。問題のある子ども、障害のある子どもを見ると、この子ども個人を何とかしようとしがち。でもね、それじゃぁ、ことの本質に迫れません。「問題」も「障害」も、人との関係、環境との関係が問題だからですね。
ですから、その「問題のある子ども」も、「障害のある子ども」も、人との関係、環境との関係の中で見る時に、自分らしく育っていくことを支援することができるんですね。
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