波風が立ちます
今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える4日目。
1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。
2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。
3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れていると、申し上げています。
今日は、発達トラウマを抱えた愛着障害が重たい子どもほど、その母親も、家族も病んでいる場合が多いということです。今日は、ケースの関わる細かいお話です。
ブルース・ペリー教授が、ミュンヒハウゼン症候群の母親マーレと、ジェームズのケースを取り上げてましたけれども(そして、ジェームズは、反応性愛着障害ではない、とされましたけれども)、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもは、その状態が重たいほど、母親も家族も病んでいて、その身代わりで、子どもが病んでいる、というケースがよくあることなんです。そうする場合、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもにとって、最も効果的と言われる、母子関係の再生が、うまくいかないことが多いんですね。そういう場合、母親面接が継続できないだけじゃぁなくて、子どもの面接も、断ってくる場合が、けっしてレアケースじゃあないんです。
しかも、母親面接が継続できる場合でも、その母親の病も、ミュンヒハウゼン症候群と同様に、重たい場合が多いですから、時間と手間が取られます。すると、それでなくても配置が少ないサイコセラピストのエネルギーの相当部分を、その母親面接につぎ込まないことには、面接を継続することもできません。不幸なことですが、正直に申し上げれば、母親の状態が重たい場合は、その母親心理面接には、私は消極的、むしろ、回避的になっています。その分のエネルギーを、子どもの心理面接に傾注することにしてんですね。
極めて残念なことですが、サイコセラピストの配置が少ない中で、心理面接をせざるを得ない現状では、やむを得ないことかもしれない、と考える次第です。
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