マザー・テレサのアイデンティティの根源今日のエリクソンは、初期キリスト教徒たちがいかに自分を確かにする道を得たのかについて、記していましたね。それは、自分以上、組織以上の存在を知っているということ...
「叡智」は、独り占めするものではなくて、「やりとり」の中で育むものでしょ。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.7の、第4パラグラフ、5行目途中から。
とっても大事な、情報を手に入れる源が、時間の中でその働きを、必ず上達させるものという訳じゃなくて、気持ちが敏感であれば、必要な場合に使うため抜け目なく備わっている情報を、手にすることが出来るものですね。それから、何を見て、何を聴くかを選択し、妥当で、長続きし、栄えるものに能力を集中させることも叡智の役割です。それは、私どもの住む社会の中では、私どもひとりびとりにとってもそうですし、社会にとってもそうですよね。
ここを読むと、叡智とは、何かをストックしていることではないことがハッキリ分かります。それよりも、例えていえば、感度が高いのに、指向性も360度効いているアンテナです。人が話しもせず、言葉にする前から、ピィピィっと、事情をキッチリ捉えて、泰然自若としている感じこそが叡智なんですね。
周囲のものは、「何で解っちゃうんだろう」「鋭いね」と驚くことでしようけれども、感性を日々研ぎ澄ましていれば、どなたにでもできることなんですね。
あなたも今日から感性を研ぎ澄ませたらいかがですか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます