発達トラウマを抱える愛着障害の子どもは、誰よりも、気持ちと思いを尊重されることが大事です。そうするためには、関わる大人は、自罰的で他罰的な、悪い良心を卒業して、寛容で、陽気で楽しい、良い良心の持ち主であることが、必要不可欠です。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog より、p.207、真ん中あたりから。ブルース・ペリー教授が描く愛着障害と間違われた子どものお話の続きです。
私どもがジェームズの記録を読み直し出すと、記録に含まれるいろんな出来事を見直しました。たとえば、薬の大量摂取です。少し調べて分かったのは、ジェームズが家から朝逃げ出した同じ日に、保安官が母親のもとに連れ戻しちゃった、ということでした。母親のマーレによれば、その1時間の間に、ジェームズは、抗不安剤をオーバードーズしてたんですね。マーレは毒物管理センターに緊急電話に電話を掛けたところ、「子どもは、すぐに病院に連れて行きなさい」と言われました。ところが、どういう訳か、マーレは病院に行く代わりに、近くのスーパーに行ったのでした。しかも、店まで車で10分で行けるのに、30分もかかったんですね。駐車場に車を止めると、マーレは叫びながら店に走り込み、意識のない子どもの事で、ヒステリーになっているみたいでした。救急隊が呼ばれることになりました。緊急事態であることが分かりましたから、パラメディカルのスタッフたちは、直ちに、緊急ヘリを呼んで、ジェームズを病院に緊急搬送することになりました。
なぜ、母親のマーレは、オーバードーズで意識のない子どもを、病院に連れていかなかったのでしょうか? この後の部分で、ブルース・ペリー教授がその訳を述べていますから、そこまで待つことにしたいのですが、想像すれば、了解できますね。
愛着障害の子どものまわりには(ジェームズは、愛着障害ではないそうですが)、強制的な関わりをする大人と同じくらいに多いのが、ウソとゴマカシの≪悪い良心≫の大人なのですね。それは、日本でもアメリカでも、同じみたいですね。
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