エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

性欲は、痒い?

2014-06-14 08:36:04 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 ルーミーの詩は、とっても素敵。

 詩としての体裁のため、てにをは をかなり省略しています。

 今日はp33第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 男女の対の関係の課題を考えると、≪真の関係≫とセックスという主要事項をさらに議論することになります。私はかつてフロイトが「≪真の関係≫は、性欲の現れ(純化)に違いない、として、性欲を、≪真の関係≫と連帯が必要なことを示す一つであるとしない」間違いについて述べました。しかし、フロイトの間違いはさらに深刻です。生理的物理主義の立場から、フロイトは性欲を、痛みを伴い、その痛みからの解放を望む、身体の化学的に作り出された緊張の結果とみなしたのでした。性欲の目的が、痛みからの解放であるとするのです。つまり、性的な満足はその痛みがうまくなくなることになります。この見方は、生き物が栄養不足になった時に飢えや乾きがする働きと同様に、性欲が働く範囲では正しいのです。性欲は、この点、痒みであり、性的満足は、痒みがなくなることです。実際問題、この観点からする性に関しては、自慰が理想的な性的満足になるしょう。フロイトが無視したのは、矛盾満々ですが、性の心理・生物的視点であり、男女の対極関係であり、この対極を連帯によって繋がりあうものにしたいとする願いです。

 

 

 

 

 フロイトも医者として、生物学を物理学をモデルにして学んだはずですから、人間を機械とみなす機械論、メカニズムの餌食になるのです。それは、心理学を、物理学をモデルにした機械論で理解しようとする、特に日本の大学で、心理学を「研究」する「学者」の人たちと同様の間違いなのですね。人間は物理学だけでは到底理解できない。なぜなら、物理学は眼に見えるものしか対象とならないけれども、人間で最も大事な内面、心は、眼に見えないからなのです。こんな子どもでも分かることを、大人の立派な「学者」の人たちは無視して、お仕事をしているのですね。残念ですね。

 学会の中だけで役立つものではなくて、もっとまともな、本当の意味で、人の役に立つ研究をしていきたいものですね。

 

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