エリクソンは、主体的な「≪私≫という感じ」をどこまでも大事にします。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p89の、7行目途中から。
しかし、≪いまここ≫を生きる者として、自分は人生の中心を生きていると≪私≫が確かにされるやり方で経験をまとめ上げることが、自我の無意識の働きと一つであることは確かでしょ。ですから(お示しのように)、それは、出来事の流れを、「どうすりゃいいの?」と途方に暮れているよりも、「うまく対処できる」と感じられることですね。「イキイキ・ピチピチとして」、しかも、「自分から物事を始める者として」生きているのであって、元気がない状態で生きているのではない(いわば、受け身で、イキイキ・ピチピチ生きている、という意味で「受け身で」という言葉よりも、「元気がない」という言葉の方が良いでしょう)、自分が中心にいて、しかも、他者を認める形で生きているのであって、周辺に追いやられて生きるのではない、自分は選ばれて生きているのであって、「どうしよう?」と困惑して生きているのではない、ということです。こういったことはすべて、自分自身の時間、自分自身の居場所でくつろいでいる感じに繋がりますし、ちょうど自分が選んだのにピッタリと、自分は選ばれている感じになります。
私どもは、世界の中心にいたいんですね。しかも、それはジコチュー、自己中心とは真逆です。人が世界の中心にいることを認めるからです。対人関係は、ですから、常に、楕円形、2つの中心を認めながら、すなわち、相手を価値ある存在として認めながら、生きることになります。
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