世界のメインテナンス?子どもが心を病んでしまうのか、それとも、健全でいられるかは、子どもと大人(親や保育士・教員)とがやり取りのある関係を日々しているのか? それとも、上下関係にな...
私事で恐縮ですが、今からおよそ30年前、1986年3月、当時、大学3年の終わりに、私は、野村實先生の、世田谷、砧の自宅の、中二階のお部屋で、ヒューマンサービスの勉強会に参加したことがあります。そのお部屋は、アフリカの様々な民芸品で飾られていました。野村實先生がシュヴァイツェルの事業を手伝った時に、持ち帰った品々らしい。部屋の横には、小さなキッチンもありました。椅子と机がたくさん置いてあって、小さな教室の趣です。実際にこのお部屋は、野村實先生が主催されていたいろんな勉強会のためのお部屋だったことでしょう。ヒューマンサービスの月例の勉強会は、夜の7時位から初めて、最初に、野村實先生の奥様と西村先生の奥様がご用意くださった夕ご飯を戴いてから、レポーターが報告して、10人ほどの参加者がそれぞれ感話を述べる、というものでした。時に議論が白熱して、「ケンカ」みたいになる時もありましたね。もちろん暴力ではありませんからね。激しい議論、激論です。
西村秀夫先生が病気で倒れてしまったために、8回程でおしまいになってしまいましたが、私にとっては、忘れがたい体験でした。
その勉強会には、東京育成園・園長の長谷川重雄先生も参加されておられました。東京育成園は、敗戦前からの児童養護施設です。長谷川重雄先生も、もともと無教会の信徒でしたが、ご事情があり、日本基督教団の教会員に、当時はなっておられました。私も野村實先生宅での勉強会がご縁で、何度か東京育成園を見学したことがあります。最初にお邪魔したのは、大学4年生のときだったでしょうか。その時には、長谷川重雄先生の園長舎にもお邪魔しました。そこには、内村鑑三の弟子で、古代ハスを甦らせた大賀一郎の書が飾ってありましたっけ。
東京育成園の小舎制の寮を見学して回った後で、長谷川重雄先生のお話を伺いますと、子ども達の大かた、9割ぐらいが、「虐待」が主訴で、東京育成園にやって来ている、ということでした。当時の私は、子ども虐待のことをほとんど知りませんでしたから、「そんなに子どもの虐待ってあるの?」って、驚いたものです。バブル景気で、世間が浮かれている時にすでに、日本は子ども虐待だらけだったわけですね。
その後のバブル崩壊、非正規雇用の増加などによる労働環境の劣悪化が進んだ現在、貧困化、労働環境のブラック化、社会保障・社会福祉の後退が進んで、子どもを取り巻く環境が、非常に劣悪化してますから、子ども虐待も、異常に増加してんです。しかし、バブルの時から、日本は、実は子ども虐待だらけだった、という事実を、私どもは忘れてはならないでしょう。
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