昨年末でsmapが解散してしまいました。友人の一人は「スマップ・ロスです」と年賀状に書いてきましたね。スマップ・ファンの皆様には、残念賞をさし上げたい気分ですね。スマップの代表作には、「№1にはならくても、もともと特別なonly one」という歌詞が印象的な『世界に一つだけの花』がありましたね。この歌がはやるのは、オンリーワンよりも、№1を願っている人が多いことの裏返しでしょ。
聖書の中にも、「俺様を一番にしてね」という話が出てきます。『新約聖書』の「ルカによる福音書」 第21章24-30節です。
前田護郎先生の翻訳では、
「24弟子たちの間に、自分たちのうちでだれが一番偉く思われるかについて論争があった。25イエスはいわれた、「異邦人の王たちはその民を支配し、その権力者は恩人と呼ばれる。26しかしあなた方はそれではいけない。あなた方の一番偉いものは一番若いように、支配者は給仕人のようであれ。27食卓につくものと給仕人とどちらが偉いか。食卓につくものではないか。わたしはあなた方の間では給仕人のようにしている。28あなた方はわたしの試練の時々にいっしょに耐え抜いてくれた人たちである、29父上がわたしにみ国をゆだねられたように、わたしもあなた方にそれをゆだね、30み国のわが食卓で飲み食いさせ、王座につかせてイスラエルの十二の族(やから)」を裁かせようと。」
となります。
同じ「ルカによる福音書」第6章46-48節には
「46弟子たちの間に、自分たちのだれが一番偉いか、という考えがおこった。47イエスは彼らの心の考えを悟って、幼子の手を取って自らのそばに立たせて48いわれた、「わが名のゆえにこの幼子を迎えるものはわたしを迎える。わたしを迎えるものはわたしをつかわされた方をお迎えする。あなた方の間では一番小さいものが一番偉い」と。」
と出てきますね。
イエスの弟子でさえ、繰り返し「俺様が一番」を争っていたんですね。人間がいかに「人類を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられやすいか、お分かりだろうと思います。
一番偉いものは、力やお金がある人と世間では思いがち。でも、「一番小さい者」、本田哲郎神父様の翻訳では、「一番小さくされている者」が一番偉い。
私どもは、大人や世間や常識で言われていることから自由な視座を持つことがいかに大切なのか、「一番小さくされている者」の感性が、その世間の価値観を乗り越えて、今の「閉塞感」を打ち破る基になることを、覚えておきたいものですね。
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