戻っておいで、私の時間形は中身が大事なので、日々中身を確かめなくちゃあいけません。悦びなのか? 真実なのか? それとも、「人間を上下2つに分けるウソ」なのか? まがいものなのか? ...
陽気で楽しいことが、意識と無意識を結びつける唯一の道です。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p87の2行目途中から。
例によって、フロイトが意識を「輝く光」に擬えるという、ほとんど宗教的表現をしたことに、皮肉な注釈を付けて、意識について次のように言っています、「私どもの人生について言えるように、意識が非常に価値があると言うのじゃぁなくて、意識しか私どもにはない、ということです。意識という特性が光を照らしてくれなければ、深層心理学のあいまいさの中で自分を見失ってしまうはずです。」と。しかし、いつものことですが、フロイトの翻訳者にとって、「光」と訳した言葉は、ドイツ語のdie Leuchte に相当します。
意識は灯台ですね。「心のともしび」と言ったりする場合がありますけれども、意識は文字通り、「心のともしび」でしょう。無意識も、意識と言う「心のともしび」があれば、折り合いのつくものになるんですね。ですから、無意識を意識に結びつけることの出来る≪陽気で楽しい≫ことが何よりも大事になる訳ですね。
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