集団を超える≪超越≫加藤周一さんによれば、日本人はその1000年以上に歴史の中で、集団を超える≪超越≫に関わったのは、鎌倉仏教くらいだ、と言います。しかも、彼岸も基本的にはない。...
アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが跳梁跋扈する(身勝手にノサバル)、今の日本においては、「どんな犠牲を払おうとも、沈黙はしてはならないし、不正に与することはあってはならない」は、1つの大切な見識です。
Young Man Luther 『青年ルター』p.236の第3パラグラフから。
1525年5月、小作農たちは大量殺戮されました。最初は、物量に勝った砲兵隊によって大量虐殺され、次に、残忍な歩兵らによって大量虐殺されました。それはフランケンハウゼンの戦いでのことでした。全部で130,000人の小作農たちが戦争で殺されました。6月には、ルターは「神が私を通してこの世になし給うことは、全て忘れ去られます。…さあ、主よ、修道者たちも、小作農たちも、全て私に反対し、死をもって私を脅かせています」と記しています。でもね、宗教改革は道半ばでしたし、ルターはヴィッテンベルグの、安全地帯にいて、空き家になった修道院の主となり、大学教授にして、牧師として、給料をガッポリ手にしていたんですね。
ルターは、信頼を回復したときみたいに、新鮮な気持ちでいることができなかったみたいですね。すると、言ってることと、やってることがだんだんずれてきます。ルターが焚き付けた小作農たちが、何十万も殺されている中で、給料をタンマリ手にして、のうのうと暮らすことができたわけですから。
アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちや、その一味でもある、三井不動産レジデンシャル、東芝、東電…は、なおさらです。増々、言ってることとやってることの乖離が、ギネス級に広がってきます。それは、人格がバラバラだからなんですね。スピリットが、心が、ビューキだからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます