初期キリスト教徒は、当時支配的、自分を確かにする道を、偽物だと断じました。
Young Man Luther 『青年ルター』のp180の第3パラグラフ。
キリスト教も最初に組織化の時代がありました。キリスト教は、スピリチュアルな革命として始まりました。キリスト教は、この世で最も貧しい者たちが、間もなくこの世が枯れ果てた後で、あの世で勝利を得ることができる、という考えでした。しかし、いつものように、この世が枯れ果てることは延び延びになっていました。しばらく、お役人たちは、終わりに備えて、この世を維持しなくてはなりません。それで、二重の市民権のために、行政上の計画と理論的な定義が必要でした。二重の市民権とは、すなわち、1つは縦の市民権であり、「いつなのか」が肝心であり、もう1つは、横の市民権であり、いつでも「今」が肝心です。
この二重の市民権の問題。ルターには、「二王国説」という考えがあるそうですが、そのことをエリクソンはここで言っているのだと考えられます。この世のこととあの世のことを分けて考えること。ナチスの時代に、ルター派が力がなく、改革派のカール・バルトが力を発揮したことの背景の一つが「二重国説」の有無があると言われています。「ルター派は眠っていたが、改革派は目覚めていた」。
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