エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

フロイトが選んだ、陽気で楽しい、時空を自由自在に動く方法

2015-10-27 06:12:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
キリストに対する信頼 < 人間を上下2つに分けるウソ ?
  イエスは、自分を見失っている者に対して、自分を取り戻す力を与えてくれるばかりではなく、自分を、より「その人ならでは」に磨きをかける際にも、全身全霊で、力づけて...
 

 

 

 フロイトは無意識に至る道である自覚を、避けたい気持ちでいっぱいでした、

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p86の第2パラグラフ、下から11行目途中から。

 

 

 

 

自分自身の美的気付き、道徳的な気付き、科学的な気付き、その深さ、その情熱を考えれば、無意識やイドに脇目も振らず集中することが、人の動機の中で、最もあいまいで、しかも、最も根っこにあることを研究する研究に、苦行僧みたいに献身することになると考えなくてはなりません。しかし、フロイトの方法は、無意識に何らかのものを生み出してもらうために、陽気で楽しい、時空を自由自在に動く方法、たとえば、「自由」連想だとか、夢だとか、遊びそのものだとか、全てが特殊な気付きの方法を択ばなくてはならなかった、ということを心に留めておくべきでしょう。一方で、体系的な解釈をすることが、意識を拡大するために役立ちます。フロイトは意識を、die Leuchte「輝く光」と翻訳するしかないものに擬えています(フロイト、1933)。

 

 

 

 

 

 光は普通、見上げるもの、ハッキリと見えるものですね。しかし、意識は「輝く光」なのに、見上げることも、ハッキリ見ることもできません。意識が意識そのものを捉えなくてはならないからですね。自分に顔を直接見た人が、未だかつて一人もいないのと同じです。無意識を見ることはもっと困難ですね。それで、その無意識に至る方法を苦心の末に考え出したんですね。でも、その道は1つしかないんですね。

 それは、陽気で楽しい、ということなんですね。

 

 

 

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