ルターは素直じゃ、ありませんでしたね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.236の第2パラグラフ、6行目途中から。
ルターのやりすぎの言葉がいつでもわざとする反抗であれば、ルターの影響が心地よいものになる訳ではなくても、ルターはもっと分かり易くなります。さもなければ、ルターは全く寛容ですし、率直で自由な意見を口にすることもできました。ルターは諸侯らに嘆願して、各宗派が自由に議論が出来る様に取り計らいました。また、ルターが聖職者の対して打ち立てた原則は、「どんな犠牲を払おうとも、沈黙はしてはならないし、不正に与することはあってはならない」ということでした。ルターが重すぎる負担を求める預言者にになったのならば、それは、ルターが政治的な歴史を新たなものにしようとしなかったからです。ルターにそうして欲しいと、指導者のいない熱狂的になった人々は、ルターに願ったのですがね。長い目で見れば、この反動の故に、個人主義的にして、平等主義のイメージがいつくかできたと言ってもいいでしょう。また、革命に置いては、右派にとっても、左派にとっても、価値の問題が問題になることになりました。
ルターは政治の革新には関心がなかったのかもしれませんね。スピリチュアルな革新の方に関心があったからです。それでも、中世カトリックの聖職者が、次から次へとウソとゴマカシ、それから、不正に与していったことを考えたら、ルターはそれを許さなかったのは、やはり、1つの見識とすべきでしょう。「どんな犠牲を払おうとも、沈黙はしてはならないし、不正に与することはあってはならない」は、1つの見識です。
今の日本では、このルターが示した見識は、スピリチュアルな改革のために役立ちます。しかし、それだけじゃぁ、ない。この見識は、政治的な改革にも、経済的な改革にも、組織の改革にも、役立ちますね。
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