学問の自由と良心の自由北星学園が、脅迫に屈せず、人事で自由な判断をすることになりました。昨日(12.18, 2014)朝日新聞で報じられていましたね。これは「学問の自由」にとって、...
強盗プログラムは、劇的効果がある場合もあるらしい。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.221の、ブランクから。
トラウマを負わされる元になっているいろんな記憶と折り合いをつけること
人々がトラウマを負わされる元になっているいろんな出来事を隠すことか出来ないのは、自分に何があったのかが分かり、戦っている眼には見えない悪魔たちのことが分かり始めるまでです。伝統的な心理療法では、物語を作ることに集中しますし、その物語は、何故、自分はこのように感じるのかを説明するものです。それは、1914年、「記憶、繰り返し、『出来た』と納得できるまで受容すること」で、ジグムント・フロイトが、その物語を取り戻したのと同じです。「クライアントが、(トラウマを)、実感があって、やり取りのできるものとできるまで、生き切ると、私どもセラピストは、セラピーを終結しなくてはいけません。セラピーは、主として、トラウマを過去のことばに翻訳し直すことです」。物語を語ることは、大事です。物語がなければ、記憶は固まったままでしょ。記憶がなければ、事が違っているかもしれないなんて考えもできないでしょ。ところが、第4部で見てきたように、トラウマを負わされるもとになった出来事について物語っても、トラウマのもとになる記憶が悪さをしなくなるとは限りません。
子どもの発達トラウマの場合、言語化するとは限らないので、物語と言っても、ことばそのものではない場合がありますよね。ヴァン・デ・コーク教授が、ここで物語を語っても、トラウマのもとになった記憶が悪さをしないとは限らないといいますでしょ。今翻訳しているのが、第5部ですが、まだ第4部は、まだ翻訳が出来てません。
私の経験から申し上げれば、言葉でじゃぁなくても、何某かの表現、象徴でも、物語に相当するようなものがないと、治療は終わりにならない感じです。
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