エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

重たい思いは、仲間と共に

2016-04-05 04:47:31 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
エピジェネシス 前+上
  臨床は、どこまでも眼の前の相手を理解するためのものなんですね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p26の下...
 

 

 平常心を保つためには、どうすればいいのでしょうか。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.246、下から5行目から。

 

 

 

 

 引き金になることで、自分の気持ちが引き出されないようにするために、自分史を詳しく語ろうとする人もいますよ。こんなことにやっても、逃げ腰で頼りない証人に見えるだけです。法定で上手く証言できなかった何十のケースを見ています。それは、助けを求めている者達は自分の気持ちを一貫して説明することが出来ないからです。自分の求めを退役軍人局に認めて貰えなかったたくさんの退役軍人の事も知っています。それは、自分達に起きたことを正確に話すことが出来なかったからです。

 

 

 

 

 

 ユングが「感情色の経験」と呼ぶものですね。「悲しみ、激しい怒り、憎悪が、血糊の様にベットリと付いている経験」の事です。それはもう、即席では解消しきれない体験です。だいいち、そんな経験は、振り返ったり、触れたりするのが、そもそも嫌な経験ではないですか? たとえ、振り返ってみよう思っても、体験にべっとりと付いている、「悲しみ、激しい怒り、憎しみ」などを繰り返し再体験することになりますから、その激しくも深い感情に付き合い、収めていかなくちゃなりませんから、大した骨折りになりますもんね。

 ですから、通常は、仲間とか、ビア・カウンセラーとかか、あるいは、プロのセラピストとかが相手をしながら、自由で守られた時空を提供してもらいながら、その振り返りをする方が、安全性が高いし、続けて振り返りもやりやすいわけですね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いつでも大事な、トータルな... | トップ | 謙虚な気持ちで、「研究室」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿