こんばんは。今宵は、本田哲郎神父の言葉から学びます(『釜ヶ崎と福音』から)。そのような「声」がしたからです。本田哲郎神父様が、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第10章4節「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(新共同訳)とある聖句ですが、これは訳語がおかしいみたいです。この言葉は、イエスが12人の弟子たちを伝道の旅に派遣する際の心構えを言った言葉です。
イエスが12人の弟子を派遣したときに、・・・(中略)・・・次に、何も持たずに行け、と命じます。金貨も銀貨も銅貨も持たずに。「何も持たなくて何ができるのか」とふつうだったら思います。さらにイエスはいいます。ただ「蛇のように感性するどく、鳩のように率直に」(マタイ10章16節)、それだけを自分の武器にしなさい。それは貧しく小さくされた者たちが共通して持っている身を守る術なのです。「蛇のように賢く、鳩のように素直に」ではない。 蛇のように感性するどく。原語φρονιμοιには、賢いとか、頭がいいというニュアンスはない。感じとる敏感さのこと。蛇というのは腹ばいで動き、体全体を触角にしていて敏感な生きものです。 鳩のように率直に。原語άκεραιοιは混ぜものをして薄めてしまいようなことがないという意味ですから、相手に合わせてしまう素直ということではなく、正しいと思ったことをそのまま口に出す、飾り気のない率直ということでしょう。
中途半端な知識しかない人は、賢さは知ること、知識から生まれるものだと勘違いしやすい。しかし、知的巨人は、それが間違いだと、体験的に知っています。アインシュタインしかり、エリック・エリクソンしかり、加藤周一さんしかりですね。叡智は感じること、直感から生まれてくるものです。
直感的に感じたことを、率直に話し言葉にして、さらに行動に移す。本田哲郎神父様は、『小さくされた人々のための福音書』では、後段を「鳩のように率直に行動しなさい」と翻訳しています。
クリスチャンの生活とは、そういうものです。それは多くの場合、「円満」や「日常」と呼ばれる、弱い立場のものを無視し、抑圧する「人でなし」が差配するやり口と闘う生活になります。
私どもの勝利も間近です。
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