世界のメインテナンスにも、やり取りが必要なようですね。
p220第2パラグラフ。
私の基準線は、黄金律です。黄金律とは、自分が他の人にしてもらいたいこと(してほしくないこと)を、他の人にしてさしげなさい(してはならない)と薦めるものです。几帳面な倫理学徒たちは、たくさんの筋が通った道義はあっても、時代遅れの先祖を軽蔑することがよくあることです。そして、バーナード・ショーは、黄金律は簡単な目標であることに気づきました。すなわち、人からしてもらいたいことを人のするな、とショーが警告したのは、ショーの好みが皆さんの好みと違うからです。でもね、この黄金律は、大海と時代とで隔てられた昔の人々の間に、不思議な一致点を示しましたし、多くの思想家が残した記憶すべき言葉の中に、隠れたテーマを提供もしてきました。
不思議ですね。黄金律は、洋の東西を問わず、あります。キリスト教圏の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」、儒教圏の「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」、ヒンドゥー教圏の「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」、イスラム教圏の「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」。
ユングが言った「元型」と同様に、黄金律も、人間の心の深いところのあるルールなんでしょう。すなわち、最深欲求に結びついたルール。
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