なりたい自分になれる時
2013-08-05 01:11:13 | エリクソンの発達臨床心理
「再儀式化(繰り返される儀式化)」も、面白かったと思います。1960年代の若者の反乱の中に、たくさんな人が参加する再儀式化への切実で健全な求めを読み取るのが、エリクソンでした。エリクソンは、この科学技術が進んだ社会においても、新しい形の儀式化が必要であることに確信を持っていましたね。なぜなら、人間は生まれながらに、自分自身を、心の奥底に位置づけ、何を希望しながら生きていくか方向付けなくてはならないからです。儀式化は、自分の位置づけと方向づけを「共に見る」手立てなのです。そのことがハッキリとエリクソンによって教えられました。
今日からは、第三章 「『共に見る』いくつかのヴィジョン」 の第1節 「壁の上のいくつかのヴィジョン」に入ります。残すは残り3分の1、というところまで来ました。
自分を確かにするには、心の奥底にある願い、その希望の向きをハッキリさせる必要があります。
でも、人の心には、なぜそのような向きがあるのか? 最深欲求があるのはなぜなのか?
残念だけど、それは今の私には分からない。何故なのだろうとは思う。
しかし、そういう願いが心の深いところにあることだけは、確かに分かる。
そして、思う。その願いに忠実に生きたいものだ、と。
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