わがままは、外では「許されない」ことでしょうけれども、お母さんとの関係では「最高の美徳」として許していくと、根源的信頼感をプレゼントすることができます。そのようにして育つと、その子は、わがままであることを卒業して、思いやりがあり、感性豊かな大人になります。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p49の第2パラグラフから。
最初の、赤ちゃんとお母さんの、ひな形となる2項関係が、お父さんたちも含む3項関係に発達する時が、まさに、エディプス・コンプレックスの「葛藤」の条件が生じる時ですね。すなわち、異性の親を手に入れたいと願う本能のような願いと、その結果生じる、同性の親に対する(愛)憎、という葛藤ですね。この最初の愛着関係の、心理・性的側面は、精神分析のまさに中核的なコンプレックスになります。しかし、私どもがここで補足しておかなくてはならないのは、このようにいろんな感情が重なり合う願いが最高潮に達するようにあらかじめ上手に仕込まれているのが、その願いを現実にするための身体の変化が全然ないのに、陽気で楽しい想像力は盛んな時だ、ということです。
エディプス・コンプレックスという精神分析の中核的な葛藤は、現実世界では、解消されないのに、空想上で解消できるように、うまくできてる、というが、エリクソンの主張です。それじゃぁ、子どものわがままは? 現実にはエディプス・コンプレックスを解消できない、幼い男の子は、そのお母さんと結婚できないけれども、愉しく陽気に空想することで、その葛藤に折り合いをつける1つのやり方が、わがままとなるのかもしれませんでしょ。
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