さて、こんばんは、今日は、山浦玄嗣さんの言葉から(『イエスの言葉 ケセン語訳』文春文庫)。この「エリクソンの小部屋」を始めるきっかけを作ってくれたのが、山浦玄嗣さんであり、『イエスの言葉 ケセン語訳』でしたね。
すると、正しい人が王(=イエス)に答える。
原文のディカイオスな(正しい)人びとです。この形容詞の名詞形ディカイオスューネーが「義」と訳されてきた…この「義」も、日本語の義というよりも、「やさしさ」といたほうがいい場合が少なくない…。
「正しい」ことは決まりを守ることだと勘違いするのが、お役所仕事であり、バカ役人の習慣です。しかし、それ自体が「正しいこと」ではありません。むしろ、大間違いや狂気の始まりであることの方がはるかに多い。それは、ハンナ・アーレントが指摘する通りでしょう。
「正しい」ことは、「やさしい」ことだ、とすると良いですね。それは、浜矩子さんが、憲法の活かし方として、もらい泣きする、「涙する眼」が大事だとするのと、重なります(涙する目と懲戒免職)。人に「やさしい」ことは「正しい」ことだとすると、より一層分かるはずです。
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